ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

令和元年へ。

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 今月いっぱいで、とうとう平成が終わる。いろいろの手続きが進捗している。

kanpou.npb.go.jp

 

 新元号が「令和」に決まった。「りょう」とも「な」とも読みたくなる字面だけれども──「れいわ」。相変わらずおばかなIMEを搭載しているMacが、すぐに覚えてくれるはずもなく、すぐにユーザ辞書に登録してしまった。おなじApple一家でも、末っ子のiPhoneちゃんのほうが、そのあたりの語学に関しては一日の長がありそうだ。勝手に覚えてくれるだろう。

 「令」は初出だが、「和」のほうは約30年ぶり、歴史上20回目の採用ということで、違和感がない。平成よりもむしろ、元号らしいという印象を受ける。また、昭和が半分だけ戻ってきたような感じもある。

 

 初春の令月にして、気淑[よ]く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披[ひら]き、蘭は珮後[はいご]の香を薫らす

 

 宴の歌からとったという号には、具体的なヴィジョンが伴っている。みやびである。令月に風は凪ぎ、梅、薫香──とくれば、やはり酒だろう。そもそも宴のくだりに典拠をもとめた、冷たい字面の背後に華やいだ雰囲気を感じさせようとした造語なのか。

 李白ならば、月下に孤独をかこちながら杯を呷っていたところだろうが、大伴旅人は、官舎に仲間を招いてのどんちゃんである。だれもかれも酔っていたのだろう。なにか幻想的なイメージもある。比喩とはいえ、実在しない鏡前の粉だ。そこから澁澤龍彦の耽美的な短篇も思い出す。商家のぼんぼんが梅林に迷い込むと、そこに謎めいた美女がいるのである。梅かおる季節の一夜の夢。すべてはまぼろしにおもえる。

 

 元号というより、読み下せる「文」になってしまっている欠陥がある──という指摘もあるが、ケチをつけだせば切りもない。詩的な曖昧さのいっぽう、やや含蓄に欠けるものの、きれいではある。これを要するに、きわめて「美しい国、日本」的な決定であったといえる。

 

参)

www.nikkei.com

note.mu

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参)追加。

 

togetter.com

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万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

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中西進の万葉みらい塾 はじめての『万葉集』

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