ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ある汎異文化論

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photo by Lukas D.

 さいきんは異文化コミュニケーション論という謂いが多数派だろうか。たとえば言語を教える教師を養成するようなコースであれば、必修科目としてカリキュラムに含まれている。異文化といったり、間文化といったり、学会によって呼称が違っても、わりと似通った領域であったりする。

 ところで、ナショナリズムの文脈で避けて通れない歴史家といえば、たとえばエリク・ホブズボウムがいる。ネイションを研究する際には、我われは不可知論的に扱わねばならぬと、この泰斗は自著を肇めている。やさしくいえば、それが存在するかどうかわからぬけれども、それは措いておいて研究してしまうという姿勢──と乱暴にまとめてしまうのは許されるかどうか。いっぽう、件の異文化論の範疇となると、もうなにか、ネイションというのは所与のものとして、つまり在るに決まっているものとして始まってしまうようなところがあって、当初はおおきな抵抗感をおぼえた。しかも、一個人の体験は勝手に文化などと称して雑に一般化できない以上、そもそも学問として成り立たないではないかという懐疑もいだいていた。……いだいてはいたが、かつて日本の学校では、それでも単位が取れたのだろう。記憶はさだかではないが。

 ドイツ語にインタークルトゥーア論などと言えばその一種で、旧東ドイツのとある大学が、ビジネスへも応用ができる実学という触れ込みで講座を開設していた。ことしはちょうどドイツ統一30周年で、日本でもドイツ史についてはちょっとした出版ブームに沸いたが、とまれ当時はドイツ社会主義統一党SED)が主導する統治が終わり、東西の再統一が成ってから10年経つか経たぬかという頃だった。それだから、いずこから湧いて出た商魂なのかと、はじめは訝った。だが、その研究所に勤務していた知己がじつはいて、いかに有用であるか懇切に説明してくれたうえに、費用は割り引きを適用してやる、宿なんかうちに寝泊りすればいい、というので、けっきょく通うことにした。

 その講座では、はじめに「間文化能力」に関する全般的、概略的、あるいは研究史的な講義が全体であって、それから後半の課程に至って、それぞれの専攻分野にわかれてゼミナール形式の分会が行なわれる、という構成であった。

 とくに選んだのは、ボヘミアの文化を扱う分会だった。ここで主眼となったのは、ドイツの企業がチェコ共和国に進出した場合に、現地で想定される行き違いやトラブルと、その背景の理解、さらに解決の方途といったところだった。典型的には、ドイツから来た上司とチェコの従業員のあいだでの異文化に起因するコミューニケイション上の齟齬について、講義や講読やディスカッションをつうじて専門的に学ぶという主旨であった。──書きだしてしまってから、ブログの記事として書くには、ちょっとまとめきれないなと気づくのはいつもの悪い癖だが、今回もばっさり端折るとしよう。とにかく教材にしろ何にしろ、よくできていた。あまり口はばったいことはいえないが、いまでもドイツやチェコのメディアや人びとをみるときに、そのとき得られた知見をもとに考えこんでしまうことはよくある。

 往時ホームステイさせてもらい、すっかり世話になってしまったのが、地元テューリンゲンの男と北モラヴィア出の女というふたりであった。これを生ける教材と言わずして、なんと言おう。ひとつ屋根の下、朝から晩までズデーテン問題や戦後賠償の話をして喧嘩をしていた──わけがなかろう。ごくふつうの若者であった。けっきょくのところ、気の合った人間どうしが仲良く暮らしてゆくだけならば、異文化コミュニケーション論等々というお勉強なんぞ、すくなくとも理論的な学習は、まったく必要ないわけだ。ステロタイプだけで物事を断ずるほうがむしろ異常である。だが、異文化間の交流が当然になっている時代にも、偏執狂的なヘイトが起こりうるのはなぜか。無知と偏見にくわえて、文化について誤解があるからか。

 しかし文化というものほど、領域によって、あるいは研究者によって定義の異なる概念もあるまい。むかし学校で履修した考古学の教師は、文化を「自然との折り合いのつけかた」と定義していたものだった。もっと若い先生なら「環境」などの新しめの表現をつかったところかもしれない。さらに、お気に入りのウォーラーステインの表現をまた借りれば、ひとりの人間というのは、複数の文化に足を置いている。たとえば、わたしは日本人です、といったところで、日本文化(というものが存在するとして)だけが当該個人の有する文化なわけではない。市区町村や地域や町内会内の文化だったり、上流階級の文化、はたまた労働者文化だったり、さらに職場ごとの文化だったり、出身の学校や専攻分野であったり、学校時代の部活動や趣味で所属するサークル単位の文化であったり、性差であったり……そういう意味で、一個の人間が同時にさまざまな文化に足をつっこんでいるわけだ。要するに、文化とはありふれていて、それゆえ異文化とて、地球の裏側へ移動なんぞせずとも、身近なところに遍在しているものである。

 そう考えると、まいにち報道されている政策や危機対応すら種々の文化の顕現といえそうだ。ウィルスによるパンデミックという地球規模の自然の猛威に、人類が折り合いをつけてゆかざるを得なくなって、1年が経とうとしているなかで、地域によって対処の仕方が異なるとすれば、やはりそれも文化であり、あたらしい共通の文化もまた生じた。

 それこそドイツ連邦共和国であれば、名のとおり分権的な連邦国家で、オーストリア共和国もじつは然りである。そのため、とりわけドイツでは州によって、また市町村(ゲマインデ)によっても対処の仕方が異なっている。行政からのマスク支給の仕方という細部に至るまで、着用義務の有無も含めて同一の国内でも町によってさまざまである。感染状況とともに、土地ごとの多様な文化が対策に反映される。いっぽうチェコ共和国は中央集権的で、おおよそプラハ政府が一括して指示を発する。それはそれで小国なればこそ、小まわりもきく。国家のあり方もまた、ひとつの文化のちがいになっている。春ごろにはそうした差異をいっさい無視して、対策自体を単純に国際比較しつつ、自国ないしは他所の政府をほめそやし、どこかの政府の到らなさを詰るなど、SNSで大騒ぎをしていた利用者がたくさんいたけれど、それはさすがにそろそろ下火になってきた感もある。あれも未知のウイルスへの不安に触発された、歪んだナショナリズムの発露だったのだろう。

 日本に目を転ずれば、春には緊急事態宣言が中央政府から発出されたが、法的な強制力を欠くということだった。にも拘わらず、都道府県がそれぞれの状況に応じて対処するには権限も予算もない、と知事らは不平を禁じえなかったはずだ。これは特別措置法が成立したからといって変わらず、昨今のGoTo政策の実施についても依然として困難があろう。大戦後まもなく制定された憲法はもとより、明治の廃藩置県にはじまる地方自治や行政の仕組みにいたってはなおさら、現代人にとってもはや異文化といえる部分があるのではなかろうか。