ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

嘲笑の対象

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photo by Denis Poltoradnev

 春さきに南独の鉄道駅で、たてつづけに列車を逃したのち、サマータイムへ移行した当日であったことにようやく気づいたという出来事は、もうふた昔もまえの話である。おかしいなと訝ったものの、なんのことはない。1時間まえの時刻表を参照していたのであった。

 今年のばあい、それはちょうどパンデミックのはじまりの時期にあたっており、ともすれば夏とともに悪疫は去ってしまうのではないかと期待しなかったわけではなかった。半年が過ぎた神無月25日の日曜日、2020年の夏時間もおわったが、欧州や北米などはあきらかな「第二波」に襲撃されているところである。それでも1時間ほど時計の針をもどし、冬に備えねばならない。

 東京オリンピックに連関して、近年の日本でもサマータイムの導入が議論されたけれども、すでに隔世の感すらある。社会インフラの混乱が予期されたことから、推進論はすぐに下火になった。しかし議論の過程では、与党内の検討会議のことであったが、「オーベーでは制度の廃止も検討されている折り、この期に及んで採用するは、国際的に〈嘲笑の対象〉となる虞れがある」というような意見があがった、という報道があった。世界の一等国としては、オーベーレッキョーに伍して行かねば……という、明治開国このかたの国是といったところか。五輪開催という世界的な文脈もあるにせよ、いかにも日本的な心配であったのもさることながら、〈嘲笑の対象〉ということばの響きもおもしろく感じて、記憶にのこっている。チョーショーノタイショー。

 といっても、国際社会の評価を異様に気にかけるのは、なにも日本ばかりのことではない。たとえばカレル・チャペクなどが「小さな民族」と呼び慣わした、チェコスロヴァキアを念頭においている。いまや西側にたいして開国してから30年がすぎた後継の共和国とて、事情は変わらないものとみえる。

 そのチャペクもコラムを書いていた『リドヴェー・ノヴィニ』、通称『リドフキ』という知識人層を主たる読者とした新聞があって、いまでも同名で存続している。これを『人民日報』と訳すとおかしなことになってしまうが、『平民新聞』と訳しても余計なイデオロギーの含意がはいってくる。だから無難に『民衆新聞』と和訳されるのだと思う。そう考えると、ありふれた名の日刊紙である。

 かつて出席していたチェコ語の初級クラスでは、この新聞のある連載記事が教材によく利用されていた。プラハに在留する外国人に、この国のさまざまなことについてどう思うか、所感を述べてもらう企画のインタヴューであった。それを読んでいるうち、この「小さな民族」が、どのようなことに劣等感をもっているか、学んだものである。──料理? まあまあだね。でも、ハンカチで洟を擤むのはやめてほしいかな──等々、たわいない話題がほとんどであった。なんと些末な事柄について、外野の嘲笑をおそれていたものか。要は、日本とよく似ているように思えたのだった。

 この由緒ある新聞を発行する会社の所有者は、いま共和国の首相をつとめている人物ということになっている。有権者が合理的な投票行動をおこなうためには、知る権利が保障されていることが大前提であることは、言を俟たない。それだから、むかしイタリアのベルルスコーニのときなども思ったけれど、こういうことでまともな民主政治といえるのかどうか。

 その実業家にして首相たるアンドレイ・バビシュも、窮地に立った。感染拡大の再燃に際して、またもや緊急事態宣言を発出する仕儀となり、さんざウイルスの影響を矮小化してきた件について謝罪した。政権の失策を認めたのである。10月にはいって、連日の感染者数が8千、ついで1万と増加してゆくにつれ、たとえばTwitterなどには「はずかしい」「ついにわが国が世界一だ」「バビシュありがとう」というような、やはり世界の目を意識したとおぼしい投稿が踊ったものだ。

 これは日本でも英語圏のメディアでも「ロックダウン」と紹介されたが、ついひと月まえに保健相に起用されたばかりのロマン・プリムラ大佐らはどういう意図か、「これはロックダウンではない」というコメントをだしたために、こっぴどく揶揄された。ロックダウンじゃないとしたら、これはいったいなんなのだ、と。ルネ・マグリットの作品に《これは林檎ではない》と名づけられた林檎の絵があるが、まったくシュールレアリスムそのものであった。

 ところが、さらにシュールな展開がつづいた。国民に強いられたロックダウンのさなか、保健相自身がマスクもなしにレストランから出てくる様子が報じられたのである。家から出るなと国民に要請した直後に、自ら課したルールに触れたことになってしまった。本人は当初は非を認めなかったが、いずれにせよこのタイミングとあっては、さすがに首相も辞任を勧告したらしい。仔細はわからないが、春の緊急事態で対策を指揮した専門家として期待されていただけに、市民に衝撃をあたえている。

 折しも日曜日の午前中を期して、軍は500床を備えた野戦病院の開設作業を完了した。プラハ=クベリ空軍基地に設置されるとも伝えられたが、隣接したレトニャニ空港の敷地の展示会場に変更となった。とまれ、当人が否定しているのでは何も言いようがないが、こうした緊迫した空気のなかにあって、識者にして感染症対策の責任者の不覚であることをおもえば、Twitterに散見されるように嘲りつつ失笑してお茶をにごすわけにもいくまいし、曰く言いがたい不気味な不可解さだけがのこるのである。

 プリムラ保健相は、首相からの勧告をいったん固辞したものの、辞任にも含みをもたせた。いっぽうで後任はすでに内定している模様である。

 

 *参照:

www.jetro.go.jp

www.nikkei.com

www.jiji.com

www.theguardian.com

www.lidovky.cz

www.idnes.cz

www.denik.cz