ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

葉月つごもり

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L'Apparition

 8月も終わりで、気がつけばもう9月なのである。当たり前だが。早い。

 8月29日は「洗礼者ヨハネの殉教日」であった。事件じたいは「刎首」とも呼ばれるが、正教では「斬首祭」という謂いをするらしい。要は首を刎ねられたのであるが、それを祭ったあげく、直截すぎる名称にしてしまうところになんともいえない趣きがある。

 いつのことだったか。「あしたはヨハネの刑死の日だ」と口を滑らせた記憶があるから、8月28日の出来事だったのはまちがいない。晩夏の週末、公園の敷地内にある店はにぎやかだった。半袖のシャツでは肌寒くなりかけていたが、モラヴィアの田舎とて、星空もさわやかなテラスのテーブルだった。そして、だいぶ酔いもまわっていた。

 なにを言っているんだこの日本人は、という雰囲気になった。それでも委細構わずつづけたらば、ひとりがスマートフォンWikiなんとかでも見たのだろう、ああ、わかった、たしかにそうだな、と言ってくれた。8月29日、聖ヨハネの……

 ヘロデ王の妃ヘロディアは、亡夫の兄弟に嫁いだものであったが、そのことを戒律に反すると咎められたがために、ヨハネに殺意を抱いていた。あるとき、ヘロデ王の生誕祭の饗宴があり、ヘロディアの娘・サロメが踊りを披露し、列座の客をもてなした。王は、褒美を取らせるから、なんなりと申してみよと宣う。少女は母堂にお伺いをたてる。すると、当のヘロディアヨハネの首を所望した──

 どうしてこの話になったのか、思い出せない。おそらくまた「ハラキリ」を揶揄する発言がその場でとびだしたのだろう。馬鹿のひとつ覚えというやつで、言うに事欠いてハラキリハラキリと囃すから、こちらもいいかげんうんざりして口から出まかせで抗弁したまでだ。酔っぱらい特有の自由連想法によって、この話題が口腔からでてきた。思考は口のなかでつくられる。

 とはいえ不勉強な不肖の身であるからして、この手の話となると大昔の学校の授業の記憶に俟つしかない。──デューラーティツィアーノ、クラナーハ、カラヴァッジョ、レンブラント等々、とくにルネサンス期から好んで絵画に描かれた。近代ではギュスターヴ・モローがとりわけご執心で、百も二百も似通った絵を遺している。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は、リヒャルト・シュトラウスのオペラとしてもよく知られているが、独自の趣向をくわえたケン・ラッセルの映画『サロメ』は比較的あたらしい。それらをひっくるめて、たぶん比較文学の文脈で鑑賞したのだ。そのときの比較の対象が、三島由紀夫の映画『憂国』であった。

 だが、聴いている側にしたら意味不明だったことだろう。どうしてハラキリの話からクビキリの話になるのよ。お侍さんが腹を召すにしても、けっきょく介錯人が首を落とすことになるのだから、切腹とは首刎ねに通ずるのだ。面倒だからそういうことにしておいた。いちばん喰いついてきたのは、その場にいた顔なじみのユダヤ系の男で、新約とはいえ聖書の話で日本人に一本とられるのが厭だったのかもしれない。stít(首を刎ねる)という動詞がどうしても出てこず、先方はそのたびに訂正してくる。こっちも酔っているから、言い直しさせられても口が覚えていなくて、つぎにはまたuřezat(斬る)とか、popravit(処刑する)とか、別の動詞で代用してしまう。なかば意固地になって。いずれにせよ、日常生活を営むうえでは、まず要らない語彙ではある。

 夕闇から虫の声がひびき、涼しい風が吹いてくる。ゆくりなく酔狂の脳裡に浮かんだのは、別の土地の別の王族であった。しかしサロメとは似ても似つかぬが。

 この時節、ウェールズ公妃ダイアナの命日が巡ってきては多少の記事が出来する。わすれもしない。あのとし博物館で研修を受けていた。昼下がり、ほかの実習生ふたりといっしょに待機していたら、指導役の学芸員の先生が部屋にはいってくるなり「おい、ダイアナさんが亡くなったぞ」と仰ったのだった。事故死のニュースによほど衝撃を受けたのだろう。ダイアナ妃本人はともかく、そのことばが記憶に残っている。そして8月末になると思い出したりする。きっと頭の発酵樽のなかで「おい、夏が終わったぞ」と転換されつつあるのだろう。──もっとも、さいきんは次男坊の嫁しか話題にのぼらない気もする。が、そのハリー王子とウィリアム王子とによって母妃の像が建立されるという昨日の報道は、ちょっとした例外ではあった。除幕を来夏にひかえるという。

サロメ (光文社古典新訳文庫)

サロメ (光文社古典新訳文庫)

*参照:

madamefigaro.jp

 

*上掲画像はWikimedia