ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

キル・レイショウ

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photo by Lukas Rodriguez

 ロバート・マクナマラといえば、10年ほどまえに没した伝説の経営者であって、統計学をもちいた科学的経営を政治に応用して成果をあげた。それでフォード社のリストラを成功させたのを讃えられたいっぽう、合衆国国防長官としてヴィエトナム戦争の泥沼化をまねいたと責められもした。

 このマクナマラが、戦争の遂行にからんで「キル・レイショウ」の話をもちだし、ジョン・F・ケネディの逆鱗に触れた、という話があった。たぶん、中高生のころよく読んでいた落合信彦の文庫本のいずれかに出てきたのではないかと思う。毀誉褒貶はげしい作家だが、子どもにはべらぼうに面白かった。

 「キルレシオ」という表記でもよかったかもしれないけれど、とまれ「kill ratio」とは彼我の殺害の比率、つまり自軍の兵ひとりの犠牲にたいして、敵側の兵をどれだけ殺傷できているか、という数字を指している。報道でも、近年では対ISIS戦役に関する報道でメディアに登場するなど、戦時の政策決定には欠かせないものとなっていることがうかがえる。ちなみに今どきのアカデミックな業界では「loss exchange ratio」という謂いのほうが普及しているようにもみえ、類似した「casualty exchange ratio」というのもある。効率に関連していえば、ビジネスへの応用というテーマの実用書では「ランチェスターの法則」とか「ランチェスター経営」とかいう概念のほうがお馴染みではあろう。

 ケネディが怒ったという話の仔細についてはおぼえていない。いずれにせよ、これは政治家みずからが容易に口に出せる話題ではない。先日のボリス・ジョンソンを想起するまでもなく、民主主義を標榜するたいていの国で、ことによると政治生命が危ぶまれることになるのではないか。特攻隊のトラウマから出発したわれらが日本では、とりわけそう言える。かつて「人命は地球より重い」として、人質をとったテロリストの要求に屈し、超法規的措置でもって法治国家であることすら棄てた国である。今回も、国が緊急宣言の解除や制限の緩和にあたって、客観的な規準をなかなか示せなかったのも、あながちこれと無関係ではなかろう。「戦後レジームからの脱却」を掲げながら、誰よりもそのレジームによって縛られているのが現政権のようにもみえる。

 ところで、日本の地上波放送には一般に「ワイドショー」と呼ばれるジャンルの番組があって、時事問題についても好き勝手なことを流している。これにはいちいち目くじらをたてても仕方がない。各局とも「報道番組」とはせず、「情報番組」というふうに呼称することで巧妙に責任を回避している。そりゃあ御隠居の床屋談義だって、主婦の井戸端会議だって、ママ友の公園チャットだって、ヒューミントから得られる「情報」に該当することは間違いないわけだ。ただ、おしなべて確度が低そうな情報、というだけのことである。情報番組の情報とは、その程度の情報のことであると思っておけば、失望もないし、憤慨もない。

 さて、ぐうぜんYouTubeでそうした「ショー」の断片を見かけたら、タレントの解説者さんが、感染状況のほうの数値だけではなく、経済の人的被害のほうも具体的な数値目標を設定して明示すべきだ、というニュアンスのことを口走っていて、さすがに唖然とした。例えるなら──わたくしの経済政策によって今月は何人死にました。つきましては、あと千人死んだら規制を緩和します。あと千人、あと千回JR中央線が人身事故で停止するまでは皆さん自粛に耐えてください──などとは最大限の美辞麗句で補ったとしても、さすがに政治家には言えまい。県知事の経験もあるひとだっただけに、政策として実行可能かどうかわかりそうなものだが……とは思ったけれど、毎日まいにち放送でコメントするのも案外たいへんな仕事なのだろう。もし政権にいたら、マクナマラの二の轍を踏んでいた。その際、総理は激昂しつつ、こう応じたはずだ──キルレシオにおいてはですね、口外することはできないのであります。口外することなく、しかし軽視することもなく、総合的に判断し、しっかりと対応してゆく。このように思って、おります。

 冗談はさておき、ちょっと検索してみたら、元部下というHBS教授によるマクナマラ評につきあたった。段落をひとつ抄訳してみる──

 マクナマラは当時、「キル・レイショウ」で敵を凌駕すれば、劣勢にある戦争でも勝つことができるという説を信じていた。これが、北ヴィエトナムとヴィエトコンの死者数を組織的に誇張することにつながった。学生時代の予備役将校訓練課程の同窓生が教えてくれたのだが、まさにキル・レイショウの改善のために敵の死体は3、4 回づつカウントされていたというのだ。残念ながら、マクナマラは数字が捏造されていたことに気づかなかった。数字というものを「真理」とするほどに信頼していたからだ。

-- Leadership Lessons from the Life of Robert McNamara | Bill George

 ──こうなると何を信じても無駄である。政治家が必要とする正確な情報が届いていないという可能性もまた、つねにあるわけだ。部下の忖度がめぐりめぐって、上司の首を絞める。皮肉なものである。

 それはそうと見わたしてみると、Twitterなどには、机上の空論をふりまわす夜郎自大の輩がなんと多いことか。「ぼくの考えたさいきょうの政策」というわけだ。専門家や現場の実務家はあんたの何倍も勉強しているよ。考えつかなかったわけがない。草の根の素朴な政策提案を否定するのではないけれど。

 

*参照: 

www.newsweekjapan.jp