ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

馬鈴薯の味わい

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photo by Rita E

 新じゃがのおいしい季節である。

 ここ数年のお気に入りは、青椒土豆絲(チンジャオトゥードウスー)。細く切った薯をしばらく水に晒しておくのは、不可欠の工程である。たっぷりの豚脂か鶏油で炒めて、唐辛子と鶏がらスープの素をもちいるのが基本だが、こってりと豆板醤とオイスターソースの組み合わせにしてもよいし、オリヴ油でアッリォ・オーリォのペペロンチーノ風に仕上げてもいける。バター醤油という手もある。こうなると原型からとおく離れてしまうが、どうやっても不味くなるわけがない。旬の味覚だからこその、麦酒のあてである。

 しかし何にでもけちをつけたがる輩はどこにでも必ずいるもので、野暮天と称しても足りぬ偏執じみたのになると、芋なんぞが好きだなんて理解できない、などと病的な執拗さで厭味をくりかえす。理解できないのはお前の脳が足りないからだ。

 ──ほかでもない。国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』前半部に似たような議論の場面がでてくる。北海道で馬鈴薯くおうなんざ、馬鹿なんサ、というようなせりふもある。なんだいこりゃと昔は思ったけれども、改めてちょっと読んでみたら、後半に至るまでに、おや、ハインリヒ・フォン・クライストにもこんな短篇がなかったっけ……と感じさせるあたり、やはりロマン主義の傑作にちがいない。牛肉がいい、いや馬鈴薯がいい、と諍う連中を見るにつけ、どっちも喰ったらいいのに、とおもわずにはおれない性分であるから、読みながら主人公の岡本に共感してしまうのかもしれないが。とりたてて政治的なサブテクストなど考慮せずとも、充分おもしろく読めた。その国木田も、さいきんまたよく聞く肺結核によって、若くして没した。感染症というやつはじつに罪ぶかい。

 さて、馬鈴薯。これほどエピソードに事欠かない食品もめずらしい。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』にもよくでてきたが、いわゆる「コロンブス交換」でアンデスからヨーロッパに伝播するまでは、かの地のローカルな作物だった。

 そこから各地でいろいろの名称を生じた。語源だけで何冊あるのかというほどの堂々たるプロフィールを有するが、各言語におけるヴァリアントの豊富さもまた、特徴ではなかろうか。

 インカからやってきた芋類には、バタータとパタータの両系統の語彙が混用されていたが、やがて甘藷のほうをバタータ系の語で呼ぶようになり、18世紀にはそれが定着したらしい。だからイタリア語でも馬鈴薯のほうをpatata(パタータ)と言って、英語でも同じ系統のpotato(ポテイトウ)となっている。ところが、ラテン語でterrae tuber(地中の塊茎)というふうに呼ばれたところから、かつてはtartufoとか、tartufoloとかいう表現も生じた。tartufoはいまではトリュフを意味し、転じて形状がそれを連想させるデザートの名にもなっている。これに由来するのが、ドイツ語のKartoffel(カルトフェル)とはいうものの、TartuffelやTartüffelという異形のほうがもとのイタリア語にちかい。ロシア語でもふつうにドイツ語の借用語が用いられるそうだ。しかし同じドイツ語といっても、オーストリアなどでErdapfel(エァトアプフェル)ともっぱら呼ばれるのは、フランス語のpomme de terre(地の林檎)という謂いに由来する。

 日本語でジャガイモと呼ばれるのは、ジャガタライモの略で「ジャガタラからきた芋」というのが俗説であるにせよ、あれれ、当時はバタヴィアじゃないの、と西洋史に通じた向きは言いそうではあるけれど、朱印船時代の商人は現地ふうにジャガタラと呼んだものだと、日本史通は説くだろう。とまれ、国木田も「馬の鈴」と呼ばせてみたりしていたが、行政の語彙にものこる馬鈴薯という言い方のほうが風雅な気がして、どちらかといえば好みである。

 語の由来が日本語に似ているなという感があったのが、チェコ語の標準的な謂いのbrambor、あるいはおおく複数形でbrambory(ブランボリ)という語である。「ブランデンブルクからきた芋」という語源を有するからだ。ここでは「から来た」とはいっても、どちらの言語にても原産地を意味しているわけではない。まるで「消防署のほうから来ました」という消火器の訪問販売にも似て、胡乱である。しかしフランスへも、プロイセンでの抑留生活を終えたパルマンティエが伝えたというから、土地の痩せたブランデンブルクに特有の産物という印象は欧州中に普及していたのであろう。

 ただし、スロヴァキアにちかい地方では年配者を中心に、ゼマーク、ゼムニャーク、ゼミアクなどと呼ばれているのは、じっさい耳にもした。さらに言語地図を眺めてみると、名称はじつにさまざまである。20以上はあると言われるが、正確には把握しきれまい。ドイツ語同然のカルトフレも西ボヘミアやシレジアに分布するいっぽう、モラヴィアにはオーストリアの表現からの転訛でエアテプレ、アルテプレ、ヘルテプレ、それを直訳したゼムスケー・ヤプコという言い方もある。すなわち、大地の林檎。語源的に解明されていないのが、地域でいうとラシュスコのほうのコプゾルウクライナ語の影響とも言われるらしいが、よくわからない。じつは林檎ではなく「大地の梨」を意味するGrundbirneというドイツ語もあって、そこからモラヴィアにはグルンビールとかクルンプレといった方言も生じた。ハンガリー語でもこれの借用語がもちいられるから、ライタ川の向こうは「梨派」ということらしい。

 ところでバイエルンなどの南のひとが、北のほうのひとをいつも莫迦にしているのは、現代では財政事情のちがいというのもあるかもしれないが、むしろプロテスタント的な吝嗇気質、端的には食文化の貧しさについてだろう。北方の寒冷な気候が小麦栽培に適さず、ライ麦文化圏となったのも致し方ない。くりかえし飢饉に襲われてきた歴史をみれば、その窮地をくりかえし救ったのもまた馬鈴薯であって、今に至るまで「名物料理はポムス・ロート・ヴァイス」と語られるのも、あながち自嘲からばかりともいいきれない気もする。ちなみに、例のフライにした馬鈴薯を意味する「ポム=フリッ」というのもフランス語からの借用語で、「ロート」はケチャップの赤、「ヴァイス」はマヨネーズの白をそれぞれ描写している。これに関しては英語話者と米語話者が、chipsだ、いやfriesだと、よく喧嘩をしている。そこへベルギーのひとが来ると、おいフレンチ・フライと呼ぶな、とこれも怒りだす。喧嘩といってもプロレスにも似たじゃれあいで、手の込んだ挨拶のようなものか。おもえばドイツ語やチェコ語のクラスにはいろんなひとがいて面白かった。ちなみにチェコ語ではhranolky(フラノルキ、複数形)といって、これは「角柱」の指小辞。たべる四角柱とはまた、即物的である。

 さらに飢饉に関して、どこで読んだのかもうわからないが、ヨーロッパで牛蒡が一般の食卓にのぼらなくなったのは、馬鈴薯が普及した結果である、という話もあった。それで、気候が比較的おだやかで、飢饉に襲われたのが遅かったボヘミアなどでは、18世紀ごろまで牛蒡が食用に供されていたのだそうだ。いまでは、よっぽど自然食品に詳しい相手でないと、チェコ語の辞書にあるとおりlopuchといっても通じない。そのへんの路傍にも自生していたりするゴボウを知らないのだ。だが、こういったことを酒の席で教えてあげると、おかしな日本人だと嗤われて、一杯奢ってもらえたりする。

 その薯すら枯渇したのがアイルランドの大飢饉で、まさにジャガイモ飢饉とも呼ばれた所以である。ジャガイモ疫病の蔓延による災害だが、真の悲劇の種は統治や社会の構造にあって、人災によるものともいえる。それが民衆をしてイングランドへの憎悪をつのらせ、独立の気運を醸成した。ダブリンを訪れると、ゾンビー映画のシーンを思い起こさせるような、記念の群像がおちこちに見られたものだ。白昼にたちあらわれる悲惨な光景である。セイント・スティーヴンス・グリーンにもあった。ひとしきり感傷に浸り、ギネスを飲りながらいただくフィッシュ・アンド・チップスがこころなしか酸っぱいのは、調子に乗って掛けすぎたモルト・ヴィネガーのせいにすぎない。けれども、あの酸味というのはアイリッシュ・スタウトには合うと思う。ここでも馬鈴薯は麦酒の友である。

 ひるがえって我らが列島にも、天保の大飢饉があった。はるかな大昔のようにも感ずるけれど、たとえば件の独歩国木田哲夫にしてみれば、母親が天保の生まれ。ほかにも明治の元勲の多くが、天保年間に生を受けている──木戸コーイン、江藤、松方、板垣に山縣、黒田清隆、伊藤ハクブン、元帥陸軍大将大山巌……。独歩はともかく、エリート層は芋になんか頼らなかったのだろうが。しかし米だけではない、馬鈴薯があったればこそ今日の日本がある──などと考えてみるのも一興である。生き残る鍵は多様性にある。

 ひとは薯のみにて生くるにあらず。さりとて北米などでは食肉の流通すらも滞りがちとつたわる、コロナの世である。感謝しつつ、いただくとしよう。

牛肉と馬鈴薯 (青空文庫POD)

牛肉と馬鈴薯 (青空文庫POD)

  • 作者:国木田独歩
  • 発売日: 1970/05/30
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)

 

*参照:

 

www.reuters.com