ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

雨さえ降れば

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photo by Oscar Keys

 このところ、大陸欧州に雨が降らない。防疫にも欠かせない水資源が心許ない。なんでも、停滞ぎみのふたつの低気圧によって北方に高気圧が膠着し、あたかもヨーロッパの天気図上にギリシア語の「Ω」の字が描かれたような「オメガ状況」を呈して、晴天に恵まれる反面、まとまった降雨が期待できない大気の事情があった、と『南ドイツ新聞』は伝えている。

 さいきんは暖冬の傾向で、雪融けの水がすくないという背景もある。2月には多少のおしめりもあったが、じゅうぶんでなく、すでに4月から夏の水不足が懸念されていた。この5月にはいって、ベルリーンの新聞はシュプレー川の水位の低さを報じ、また南ドイツの新聞によると、バイエルン自由州が対策のための予算措置を発表した。農業用水に関しては、3年連続で心配の種となっている。

 コロナ流行下の農業には、災難がかさなる。国境封鎖の影響で、出稼ぎ労働者がやって来ない。日本国は「現代の奴隷制度」との批判もある技能実習制度を擁するが、なにも日本の農業だけが外国からの労働力に頼っているわけではない。多かれ少なかれ「三ちゃん農業」的な生産を強いられている農家は目下、世界中にある。それも相俟って禁輸措置に動いた国も出たことから、国連食糧農業機関(FAO)などが「世界的食料危機」の恐れを警告したのは、じつにひと月もまえ、4月も劈頭のことであった。

 となると、各国の食糧自給というものが気になりだす。じつは何年か前にチェコ共和国などでさかんに議論になっていた頃があった。というのも、あらたにEUに加盟した東欧の「新欧州」諸国では、その後おしなべて「食料自給率」が低下したからである。そもそも食糧自給とは社会主義的な概念であって、これからの自由と民主の資本主義の時代にあっては無用の長物である、とある者は主張した。これにたいして、業界団体のトップはとうぜん反駁したわけだが、その際に好んで取り上げたのが、日本の例であった。

 すなわち、食糧安全保障というものを真摯にとらえている国が、ほかならぬ日本なのであると。日本は裕福な国であるから世界中から食料品を輸入することはできるし、かえって経済的であるにも拘わらず、ひたぶるに自給体制の構築を目指している。とりわけ米穀については、政府が助成することで、わざわざ高いコストをかけて国内生産の維持に努めている。結果、リーマンショック前後の世界的な食糧需給の悪化に際しても、影響を受けなかった。わが国もかくあるべし──というような論旨であったと思う。

 しかし、これは盛大な買いかぶりと言わねばなるまい。今年3月の参院予算委員会で江藤農水大臣はコロナ禍の影響を問われ、「今のところ輸入が滞っていることはない」としながらも、いっぽうで「深刻な事態も想定しなければならない」とも述べている。米はともかく、全般的な食料自給率となると、37%という低水準にとどまっている国なのだ。

 ちなみにこのとき農水相は「米が政府備蓄米と民間在庫を合わせて日本国民の消費量の6・2カ月分、食料小麦が2・3カ月分、大豆が民間在庫で1カ月分」である旨の説明をしている。自給率も高く、秋の収穫まで保ちそうな米は良しとしても、問題は小麦と大豆である。

 とりわけ小麦というのは、戦後日本にとってまた特殊な食品で、食管法に替わった食糧法にもとづき、いまだに政府が一括して輸入する体制をとっている。昨年の輸入先は米加豪の三か国で、五つの品種が輸入された旨の実績が、農水省のホームページに掲載されている。ところが今年は、北米でも旱魃が起きていると伝えられている。例年のように悩まされている山林火災も、カリフォルニア北部などでは今年は早く始まるのではないかと危惧されているほどである。欧州だけではないのだ。

 報道を眺めれば、件のチェコ共和国でもまた危機感が昂まっている。前年比で20から40%の収穫減、あるいは過去500年で最悪の干害になるのでは、との見出しすら踊っている。ラジオ局のサイトでは、インタヴューを聴くこともできる。すると「人手不足と旱魃とではどちらが深刻な問題ですか」と、アナウンサーが馬鹿な質問をしている。農家の男性曰く「そりゃあ、旱魃だよう。人手の問題は農家によってそれぞれだけど、日照りはみんなが影響をうけるんだから」──当たり前である。雨さえ降ってくれれば……。

 

 ところで話は変わるが、今は亡き桂枝雀が小学生のころから好きだった。その珠玉の演目に『雨乞い源兵衛』というのがあったものだ。かの小佐田定雄による新作落語である。

 ひでりに苦しんでいる村の庄屋が、百年前の先祖の縁から、源兵衛なる若者に雨乞いの儀を強要した。源兵衛がやぶれかぶれで氏神の社に籠ると、瓢箪から駒とばかり、ぐうぜん雨が降り出した。……かと思えば、こんどは一向に降り止まない。雨を止めるように言われる。するとまた季節がめぐって、ぴたり雨はあがるも、源兵衛の姿はなかった──という、いささか神話的な味わいのある噺だが、これも上方落語の鬼才が演じると、抱腹絶倒の一席となるのである。

 そこで枝雀がかならず枕に振ったのが「気象庁職員のソフトボール大会が雨で流れた」というような真偽不明のエピソードだった。ちっともあてにならない天気予報を揶揄したものだ。上方の巨匠が元気だった頃とくらぶれば、たしかにテクノロジーは進歩を見た。だがそれでも、水不足の予測が当たらないことを願うばかりである。

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*参照:

www.moneypost.jp

www.agrinews.co.jp

www.sankeibiz.jp

www.afpbb.com