ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

国境の復活

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photo by Artur D

 「緊急事態宣言が全国に拡大へ」の見出しが一斉に出来した。4月16日夜には、官報の号外が貼り出された。

 7日に7都府県に同宣言が発出されてから、10日も経っていない。この先行した発出について、北海道知事や奈良県知事などからは「移動制限を伴わない緊急事態宣言」の意義を疑問視していた旨の声も聞かれた。もっともな見解である。日本国という単一の経済圏で、複数の制度を創出したも同然だったのだから。じっさい、東京でパチンコができなくなった利用者は、北関東のパーラーに殺到したらしい。ひと月も前から欧州各国の措置を報道で追っていさえいれば、時機を失した日本政府の諸決定がいちいち奇怪であったことが感ぜられたはずである。むろん、経済面の影響に最大限配慮した結果であると弁解されれば、責めにくいところではあるが。しかし、シン・ゴジラが迫るなかで延々と会議をつづけたのであろうから、そんなのものは緊急でもなんでもない、と指摘することはできるだろう。映画では、これが民主主義なのだと嘯く官僚がいたが、そんな官製イデオロギーと国民を心中させるつもりならば、けっきょく戦前の帝国政府となにも変わらない。

 その欧州では、経済活動の制限を徐々に緩和する国々があらわれはじめた。とくに動きが早かったのはオーストリアで、すでに14日、種々の商店が営業を認められた。屋外のスポーツも5月1日から許可される模様である。とりわけ経営体力のない小売業にたいして、すばやく手を打たねばならぬという政府の意図は理解できよう。統一された経済圏という意味では、欧州連合とはひとつの国であり、つぎの焦点は国境封鎖がいつ解かれるのかという点であるが、これはすぐにでも、というわけにはいくまい。

 EU最古参のベネルクスのような伝統的に中継貿易で生きてきたようなところの住民は「ひとつの経済圏」の恩恵をおそらくもっともよく理解していよう。まさに命綱のようなものでもある。それだから、このところの諸国の国境封鎖措置にたいしても、つよい警告を発してきた。またもや加盟国間の国益の対立から「コロナ債」をめぐる紛糾などが報じられているが、ひとまず措いておこう。

 ひとつの経済圏。名目上の国境があるのみ。要するにこれが厭だと、英国は離脱する仕儀となったわけだ。どれだけ自らを裨益しているかも熟慮せずに。

 先日、ワルシャワのことを書いたので、たとえばポーランド経済について某メガバンクのレポートに目を通してみれば、「自動車」と「ドイツ」こそが鍵である、と書いてある。要は、一国の経済がドイツの自動車産業の一部になっている。「2000年代には20%にも達していた失業率が2018年には3%台まで低下した」とあるけれども、2004年に加盟したポーランドが、EU経済、なかんづくドイツ経済に組み込まれ、十全に機能していることは明白であった。絵でわかる世界システム論のごとしである。

 投資の対象として、このような重厚長大な自動車や鉄道や航空機産業などを思い浮かべてしまうのも無理はないけれども、生活するうえでは、それにとどまるわけではない。なにしろ地つづきなのである。ときに、通いなれた飲食店の調理師やウェイトレスが辞めて、別の店に移ったというから、訊けば、移った先というのが国境の向こうの店だったりする。隣国のカフェが、隣県のパチンコ店にもひとしい。シェンゲン条約締結国どうしでは、パスポートのチェックはおろか、税関審査もないから、国境といっても日本の県境のようなものだ。

 モラヴィアのことも記事に書いたが、あの地域の中小の経営者や自営業者となると、商品や備品の仕入れや買い付けのため、自家用を兼ねたワゴン車などでオーストリアやドイツへ日常的に通っている。じっさい同行してみるとよくわかるが、国境など意識することなどなく行き来できるというのが、商売には欠かせない利点なのである。それだから市中のちょっとした商店の主であっても、コーヒー豆の売買契約にちょいとローマまで、ベルリーンまで、アムスまで……といった具合で、近隣ならではの気軽さである。

 また近年は、欧州各地にも日本の食品を扱う店もふえた。日本米、味噌や醤油、越乃寒梅に獺祭、アンパンマン・ペロペロキャンディ……なんでもよい。そうした小売店が商品を調達する先といえば、日本からの輸送費用を計算して高価な冷蔵コンテナーを自前で手配するよりも、ドイツやオランダにある大手日本企業の現地子会社から仕入れたほうが手っ取り早い。しかし、折りからのコロナ対策のための国境封鎖がそれに影響することもあろう。そのうえ、このコロナ不況では、いずれにせよ便数は減り、コストは上がったに違いない。目減りした運転資金のつごうで自前の調達などはむずかしいという事業者もあるかもしれない。くわえてユーロに参加していない国々では、自国通貨の下落により、仕入れ価格も跳ね上がったことだろう。

 あるいは、EU域内、とりわけ人件費の安い東欧に進出している日系企業などには、製造業が多いと思われる。営業制限がつづく状態で、たとえば独ビーレフェルトの某工作機械メイカーの消耗部品が入荷しなければ、特定のCNC旋盤やマシニングセンタが稼働できず、各国政府から操業を許可されても生産ラインを止めておくしかない──という工場などもありそうだ。サプライ・チェインという謂いも耳にする機会が増えたが、懸念すべきは原材料や製品の部分品の供給に限られない。そこには会社のために粉骨砕身している駐在員諸氏もいるわけだ。

 しかしながら、英国に見られたように、こうした「ひとつの経済圏」の恩恵やありがたみというものを感じぬ者も増えた。近年の各国の国政選挙を見れば明白である。投票行動に関する選挙後の記事なども手掛かりになりそうだが、例えば地方の公共セクターで勤務する人びとなどは典型例であろう。恩恵どころか、自分だけが地の利を活かせぬと思い込み、疎外感とルサンチマンを募らせる場合もあるかもしれない。それだからこそ、ポピュリスト政治家がくりかえすEUへの中傷や他民族への誹謗が、こうした人びとの心にはここちよくひびく。一般市民が見たこともない種類の人間に責任転嫁すればよいのだから、大衆迎合政党の政治家とは、なんと気楽な商売であることか。いつの世にも、ロスチャイルド陰謀論イルミナティ地震兵器、UFOはナツィス、Q熱やコロナは米軍、井戸水の毒なら鮮人のせい、祝日が増えたのも商店が早く閉まるのもぜんぶユダヤ人のせい……みたいな、どうしようもない風聞にとびつく輩は多い。「とにかく日帝が悪い」とでもいっておけば、勝手に盛り上がってくれる。選挙も安泰だ。

 思い返せば、2000年代初頭まで、東欧の町々というのはまだ、じつにみすぼらしいものだった。市街地となると、築80年とか100年などという歴史的建造物はざらであって、それだけに、第二次大戦の弾痕が残る外壁などもほうぼうに見られたし、灰色に変色したスタッコが無残に剥落し、地の建材がむきだしになっていたりもした。──ところがEUに加盟すると、とりわけ由緒ある建物は助成金の申請も通りやすく、修復、改修、修繕がつぎつぎに進んだ。それはそれは……見違えるほどになった。ほんとうに。ワルシャワプラハなど首都や大都市であれば、東欧革命後に比較的すみやかに手当ても行われたのかもしれないが、これが地方都市へゆけば一目瞭然で「EUの助成プログラムにより工事中」である旨、垂れ幕に記載された現場が街路に並び、欧州旗を見ない日はない、という時期もあった。エコノミストが言うところの「投資の拡大を後押しする、EU基金を利用したインフラ工事」というやつである。

 要は、そうやって経済を廻し、民族の誇る文化財を修繕し、子女をエラスムス奨学金で域内外の学校へ遣り……とさんざん妙味をあじわいながら、われわれはかつて搾取もされたのだから「ただ乗り」するのがわれら当然の権利、といわんばかりに振る舞われたらば、EUにおいて盟主を自任する国々はおもしろくないはずだ。これでは、まさしく日韓対立の構図そのものではないか。あるいは、米中冷戦のさなか、じつは中共幹部の子弟がことごとくアメリカ合衆国の有名大学に留学している、という状況も想起されるところである。いっぽう下々は、米帝討つべし、などと唱えさせられているのだろう。

 たとえば、チェコ共和国では2004年にEUに加盟してからわずか数年のうちに、平均給与が40%以上も上昇したという。ところが上述したように、多くのひとがさほどの恩義を感じていないかもしれない。あるいは、ありがたみにもひとたび慣れてしまえば、すっかり忘れている者もあるだろう。英国で起きたことがこれである。離脱が決まってから、依存の広範さに気づいて慌てた。命綱としている隣人があることまでも想像できぬのは、分断社会の表れか。とくに利害が対立していなくとも、単によその業種業界まで想像が及ばぬひとも多いものだ。そして隣人が自分の日々の生活をも支えていることまで考えが及ばない。それどころか、日々の不満に関連して、顔の見えぬ人びとの集まりが逆恨みの対象にすらなりうる。というのも、ドイツ人やフランス人など噂には聞くが、じっさいには顔も見たことない──などというひとも、このグローバル化の時世に至っても、まだ内陸の片田舎にはいるのだ。こうみるとやはり、従属理論などはよくできたもので、故ウォーラーステインの慧眼にも感服するしかない。が、戦間期の歴史を少し読めば、ある程度までは容易に類推できよう。

 とまれ、むろん大衆迎合政治家たちはそこにつけ込み、みずからの失政をEUや地域の大国に転嫁して、逆に支持を拡大し得る。それかあらぬか、大陸欧州における2017年前後の選挙などは、各国でポピュリズム政党の躍進が目立った。往時はシリア難民・移民が問題にもなった時期ではあったが、あまりの生活水準の低さに当の難民が逃げ出すほどであった国においても、反移民を訴えた諸政党が躍進したのには噴飯した。が、理性を超えた憎悪の表出だとすれば、深刻なことである。

 けれどもひるがえって、今般のコンテ首相のEU批判にはさらに重いものがある。同じことをたとえば昔のベルルスコーニみたいなお調子者が、思いつきで放言するのとはわけがちがう。理性的な判断による利害の対立である。緊縮財政の否定は、左派ポピュリスト法学者のかねてからの持論でもあった。──メルケルがコンテの危機対応をさかんに褒めていたが、文脈を考えると、じつは高度な牽制だったのかもしれないとも思えてくる。

 移動制限とは、感染拡大への封じ込めには欠かせない措置ではあるが、経済にとっては致命的でもある。けっきょく、悪疫が惹き起こしたEU存続の危機とは、世界経済への影響もさることながら、とりわけ中小の加盟国にとっては重大で、今後とも目が離せない。

 

 *参照:

www3.nhk.or.jp

www.nikkei.com

www.bbc.com

www.bbc.com

www.jiji.com

toyokeizai.net

www.jiji.com

www.sankei.com

www.fsight.jp

www.nikkei.com

www.murc.jp

www.murc.jp

www3.nhk.or.jp