ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

下種の後知恵

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photo by Christo Anestev

 「SNS疲れ」というほど使い倒したこともないが、Facebookもいつしかあまり利用しなくなっていた。このような疫病に世界が覆われてしまったときこそ……とも、なぜか思えなかった。ログインすれば「友達」のリストには、最大の犠牲者を出しているイタリアやアメリカ合衆国の市民もいて、急速に感染者数でその後を追う国民となったスペイン人やドイツ人もいるのに、である。それで意を決して覗いてみれば、はたして、比較的まだ余裕がありそうな者しか発信はしていない。当たり前である。

 例外は、あるポーランド人で、近年は子育て写真ばかりの投稿であったから、白衣を着た自撮り写真を見るまでは、医療の関係者であったことは失念していた。大学病院の調剤関係の部署らしいから、後方兵科とはいえ前線勤務である。マスクが寄贈されたことに、スタッフ一同で謝意を表明していた。こういうのが、このところ稀になった吉報というものであろう。

 いっぽう欧州に住むアメリカ人は「どうして、わが合衆国は余所にくらべて、コロナ対策が遅れているのか」と、遠く祖国を憂いていた。悲痛である。酒がはいれば陽気なやつだけに、尚更である。

 関連すると思しき報道記事は示唆的であった。英『ガーディアン』紙が、トランプ政権の対応を批判したものである。「失われた6週間──いかにしてトランプは人生最大の試練にしくじったか。大統領はコロナウイルスの危険性を認識していながら、リーダーシップの欠如から大規模な非常事態の発生をゆるした」という見出しで、かの国の大統領権限の強さを思えば、この論調には無理からぬものがある。

 過去を総括するのも時期尚早という気もするが、この記者は、すでに歴史家の視点で俯瞰している。「コロナウイルスパンデミックについて、決定版の歴史が叙述されるとすれば、2020年1月20日という日付けが注目されることは間違いない。その日、ワシントン州在住で、中国・武漢の家族を訪問して帰国したばかりという35歳の男性が、米国で初めて感染者と診断されたからである」などと、最初期からの対応のまずさを検証しているわけだ。

 しかし振り返ってみれば、1月20日とは、かのクルーズ船「ダイヤモンド・プリセンセス」が横浜港を発った日である。香港、ヴィエトナム、台湾を巡り、ふたたび横浜に入港して騒動となるのが、やっと2月3日のことであった。だから、きのうきょう後知恵をつけた者が、あの時点で対処しておくべきであったのだと追求するのも、あまりフェアではない気もする。保健当局を責めたくなる気持ちはわかるが。武漢で最初の死者が出たと報じられた1月12日付けの日本の新聞には、同時に「感染広がる可能性、低い」という見出しが並んでいたものだった。それが、インタヴューに応じた国立の研究機関の医師による見立てだったのである。

 ひるがえって昨今の日本の政策にも、歴史家然たる視点から論難されているものがある。いわずもがな、布製マスク配布の件である。ある東京在住のドイツ人などは、エイプリルフールの冗談かと思ったというようなことを書いていたが、このご時世のジョークとしてはインパクトにすら欠ける。

 どこからこういう策が上がってきて、なぜ採用されたのか、という疑問もしごくもっともである。これを、かのインパール作戦と牟田口中将になぞらえる者もある。合理性がなく、目標も曖昧で、各種資源の逼迫も作戦実施を許す状況にはない──という趣旨である。また、世界の主要各国が打ち出している現金給付の額と「マスク2枚」を比較して揶揄するのも、流行りのようである。

 マスクが感染防止に有効かどうかは、メディア上のポジショントークの応酬が神学論争めいてもいるので、この際もうどうでもよい。いまや、同一の組織でも見解が二転三転する。医療用と家庭用の製品を同列に論ずるのも意味がない。いずれにせよ、100パーセントの安心・安全などというものがこの世にあり得ないことは、3・11ですでに学んだ日本人である。リスクを低減させることができれば有効とみなすべきで、その意味では飛沫感染の防止策として、いずれの製品にせよ、気休め以上の効能はあるとされる。米国政府なども、マスク不要との立場を変えつつあるという観測が報じられており、アウトドア用品のメイカーなどもこぞってマスクの縫製に乗り出している。

 ところがそのマスクといえば、日本国内でも材料たる不織布の供給が追いつかない。医療機関の必要分を確保するため、今回はガーゼ生地による代替品の民間利用を促進する意図もあって、件の配布を実施することになったのだという。ならば、これこそ広告代理店に依頼すべき案件だったのかもしれないが。

 それはそれとして、マスク外交にご執心の隣国に不織布製の製品を供給してもらう手もあったのではあるまいか。コロナ禍以前には、日本市場にも潤沢に流通していた中国製のマスクだ。なんでも欧州のほうが優れているなどと言うつもりはないし、感染者の数を比較すればよけいに言えない。だが、目下マスクが足りている国などない現状で、隣国からの供給も断たれ、中国とのマスク外交に賭けた国は、結果的にマスクを得ている。これも要は後知恵である。とまれ、国賓待遇の訪日が中止になった折りでもあり、また、優秀な国務院総理の李克強と比較され、おおきく支持を落としているという習近平のことである。渡りに船とばかり、気前よく優先的な供給を約してくれるかもしれない。

 いずれにせよ、なにが正しいのか未来を見通せる者などいない。相手は人類にとって未曾有の悪疫である。政治の判断が将来にわたって正しい選択であることを、誰もが祈りながら見ている。──祈りといえば、セルビア系の友達が、べつの誰かの祈りのテクストと思しき投稿を、イコン画とともにシェアしていた。ボスニア語と思われるが、よくわからない。グーグル先生の助けを借りながら、この週末に解読してみようかとも思う。

 

*参照:

www.bbc.com

www3.nhk.or.jp

www.asahi.com

www.itmedia.co.jp

www.afpbb.com

jbpress.ismedia.jp

news.yahoo.co.jp

 

www.youtube.com

www.youtube.com