ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

古井由吉逝去

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photo by Wilfried Santer

 世界のすべてのものはエニグマとして描かれなくてはならぬ──というようなことを宣ったのは、ジョールジョ・デ・キーリコではなかったか。それともダリだったか、マグリットだったか……

 どうしても芥川賞受賞作「杳子」がすぐに思い浮かぶけれども、初期の古井由吉の文体はいっけん明晰でありながら、仕掛けが込んでいていて、錯綜した暗号のような味わいもあった。あいにく、ムーズィルやブロッホの影響をここで云々するほどの知見も手管ももちあわせぬ不肖の身である。とまれ、個人のものなのか、集合的無意識なのか、ともかく語り手による緻密な描写のなかから、じんわりロジックと物語とが立ち昇ってくるようなところが、おおよそ小説でしか表現できぬ世界だと思って読んでいた。「読んで脳が震えた」などと又吉直樹はよく語っているけれども、それもわかるような気もする。

 ただ、暗号は解読者を必要とするもので、それこそ読者が文学作品を完成させるといわれる所以でもあって、古井由吉の作風などはとりわけ当て嵌まる種類のものではなかったか。何かの企画で、古井を師も同然に仰ぐ又吉が訪ねていったときなどは「ぜんぶわかったうえで良いといってくれているわけではないんでしょ」というような自虐ともとれる弁もあったと記憶する。しかしその本音は、やはり杳として知れなかった。

 産経新聞・海老沢類によれば「(ネット社会の)今は日本語の語彙が少なくなり、言葉が切れ切れになっている」と危惧していたともいうが、たしかに近年の日本語をみるに、よく晩年まで旺盛な創作意欲を維持できたものだと思う。どうしてなのか。

 2018年にはおなじ海老沢の手になるインタヴュー記事が連載されており、そこに肉声によるヒントがあった。文豪は絶望どころか、悲観すらしていなかった。「文学の復活はあると、僕はにらんでいます」という力強いことばによって、5回にわたる秀逸な連載は締め括られている。

杳子・妻隠(新潮文庫)

杳子・妻隠(新潮文庫)

 

*参考:

www.sankei.com

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