ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

ヘイトの大陸

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photo by Free-Photos

 BBCのサイトに掲載された記事によると、大陸ヨーロッパでは感染症にたいする恐怖が、中国人にたいする恐怖や嫌悪をあらためて浮かび上がらせている。日本人とて、欧州で団体観光客としての数的優位を誇っていた時代ならばいざ知らず、いまや中国人扱いを受けるのはふつうであるから、まったく他人事ではない。

 中国語やヴィエトナム語といった声調言語にはメロディアスな抑揚があって、特徴的な正門閉鎖音もユーモラスに響くから、なんとなく真似したくなるものなのだろう。巧くできれば、観衆の笑いを誘うことは必至である。それだから歴史的には、日本の能狂言にすら、唐音を真似て笑いを喚起する演目があったというが、さすがに現在では上演されることはない。タモリ中川家といったお笑い芸人が嗜む程度だろう。しかし、ヨーロッパではいまだに、町の通りで堂々と演じられるのである……。

 かつて西ドイツに属した諸都市では、みな外国人馴れしていて、移民問題が沸騰する以前の大学町ではさすがにそういう目には遭わなかった。むろん国民的なトラウマもあるが、西側といえば資本主義社会の美徳にしたがって見栄を張って暮らしている人びとだ。相手を識別して損得を思案する。おまえ日本人だろう、賢そうな顔しているからそうじゃないかと思ったんだ──などと、如才なくお世辞を弄しつつ、一抹の差別的な発想を秘めていることはあるにせよ、その言質など取られまいと振る舞うようなところはある──ところが、旧共産圏の「新欧州」の諸国では事情が異なる。地域にもよるが、総じて、革命の30年前まではアジア人など見ることは稀であったという東欧諸国である。これは多民族による「帝国」であった旧ソヴィエト連邦の地域とも異なっている。

 唐音──と呼んでしまうが、何を煽る目的なのか、チェコ共和国ではよくやられた。かの地では、ヴィエトナム人が蛇蝎のように嫌われていた。当時は、アジア人即ヴィエトナム人だと思い込んでいる者が多かったのだろう。親でも殺されたものか、その憎悪のほどには理解に苦しむほどのものがあったが、聞けば──組織犯罪に加担しているから、滞在許可を取っていないから、この国の商品やサーヴィスの水準を下げているから、働き過ぎだから、日曜日も働くなんて信じられない……要するに合理的理由など皆無で、嫌いだから嫌いなのであった。それも、同化が進んだ最近はかなりましになった。チェコで俗に言う「バナナっ子」とは「肌は黄色くも中身は白い」という表現で、じゅうぶん侮辱的ではあるが。しかし、すでに同じ教室に学ぶ若い世代では、まず頓着する者などない。

 そもそもヴィエトナム人がチェコスロヴァキアに居住し始めたのは、1950年代かららしい。おそらくインドシナ休戦協定が成立した前後と思われるので、当初は戦争避難民的な性格が強かったのだろう。社会主義国家間の協力とて一時は数万人に上ったものの、共産体制の終焉をむかえる頃には1万人ほどになっていたといわれる。だがビロード革命後は、経済活動がし易くなったことからか反転急増し、スロヴァキアが分離したのちも増えつづけ、ピーク時の2009年には6万人以上となったとされるが、じっさいには10万人にのぼったという推計もあるらしい。公式の数字はともかく、従順に調査に協力する立場とも思えないから、実態は不明である。いずれにせよ、スロヴァキア人、ウクライナ人に次ぐ規模の民族的少数者ということにはなる。

 旧東ドイツに位置する大学に一時期お世話になったことがある。旧共産圏というところは通じるが、まあまあ、あちらではそんなことはなかろうと、旧西側に属する町での昔の留学経験から類推して侮っていたのだ。が、そこで件の唐音による煽りにでくわしたのだった。──といっても、相手はすれ違ったちいさな子どもたちで、人畜無害。わーわー、中国人がいるー。きゃー。かわいいものであった。いずれにせよ、やはり東洋人がまだ珍しい時期の旧東側だった。

 たほう同じ東側にしても、差異も感じた。後日すべての日程が終了し、打ち上げがてら知り合った連中とカフェに行ったときのことである。総勢で7、8人、あるいは10人もいたろうか。空席を求めて店内をゆくと、ちょうどよいテーブルがあった。そこへひとりナイジェリア人だろうか、体格の良いアフリカ系の男性がやってきて、椅子に手をかけようとした。学生だったと思しいメンバーのうちの若い二人組が「タッチの差だ。お前の席じゃないよー」というようなことを戯けて言ったのだが、これに黒人男性がカチンときた。いったん去った後で徐々に頭に血が上ったものか、あえて戻ってくると、怒りにまかせた抗議の弁をまさに怒涛の勢いでまくしたてて、また去っていった。不当な差別を受けたと思ったのだろう。そして、ふたりのほうも、そこで人種差別だと思われたことに気づいたらしい。きょとんと顔を見合わせたあとで、おい、謝りに行こうぜ、ああそうしよう──という按配で申し合わせ、すでに立ち去った黒人男性を探しに行ってしまった。

 コミューニケイション上の齟齬、ちょっとした誤解ともいえぬ誤解にも見えた。だが、考えてしまった。はたして自分だったらば、立ち去った相手をわざわざ追ってまで詫びようとしたろうか。──すくなくともチェコ人には陳謝されたことなどないな、とも思った。詫びるとしても、ヴィエトナム人だと思ったんだ、ごめんな、などと言うのだろうが。そして言われたとしても、ヴィエトナム人だったらいくら侮辱してもいいのかと、逆に詰め寄ったかもしれないが。といっても、ヴィエトナム人に特別な共感を抱いているわけでも何でもない。どうでもいいことだ。こちらが日本人とわかったうえで、フクシマの放射線で……と罵られたときの方がはるかに呆れた。

 とまれ、「ドイツ」などというものは人の頭の中にしか存在しない。ノスタルジーもそのひとつのかたちだ。ドイツ連邦共和国は、ひと絡げにするにはあまりに地域差の大きい連邦国家である。ミリューなどと言ったりするが、個々の生活の環境も異なれば嗜好も異なるのは無論である。その 意味では、同様に「ドイツ人」などという個人も存在しないことを注意のうえで書かねばなるまいが。AfDの擡頭などという近年の報道に接するに、旧東ドイツのほうが極右的な傾向に染まっている説明として、東西の埋まらぬ経済格差が云々されることが多い。が、昨日は冷戦期から西側に属すハーナウでも、クルド人嫌悪が背景にあると思われる銃の乱射事件もあった。9人が死亡した。人口10万足らずの小さな町へ中東から大量の移民・難民が押し寄せた後では、どうも皮肉にも東西の差は消滅してしまったようだ。

 ところで、あの「わー、きゃー」とはしゃいでいた子どもたちも、すでにいい大人になっているはずで、ということは──みんなでネオナツィ運動などに与して、外人排斥の片棒を担いでいたりするのであろうか。いまや暗澹たる嫌悪の大陸である。

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