ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

今様のナショナリズム観

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photo by Andrew Butler

 昨年来の濠州での森林火災にくわえ、武漢発の新型コロナウイルス禍も留まるところを知らない。インドでも感染が確認され、フィリピンでは死者が出た。東アフリカでは蝗害。シリアの内戦ももうひと波乱ありそうで、イラクレバノンでは反政府運動が興隆を見せている。弾劾手続きのさなかにある米大統領収賄で起訴されたイスラエルの首相とによって、パレスティナも危機にある。いずれの地元政府も国民の一致結束を呼びかけるのは当然であろう。いっぽう先週、英国のEU離脱が成就した。こちらは「自ら科す経済制裁」ととらえると、ナショナリズムの負の成果といえなくもない。

 停戦が呼びかけられているものの、リビアでは内戦がつづいている。かつてカッダーフィー政権が崩壊してから延々と混乱がつづいているようにも思えるけれども、天然ガス資源争奪や地域の代理戦争という面も顕著になってきており、泥沼の様相である。北アフリカを革命の波が襲ってからすでに久しいが、その後の鎮静化や復旧・復興には各国で明暗がわかれた。

 エジプトなどは、比較すれば安定した政情に復帰したのが早かったように思えた。なぜだろうか。当時、エジプト人の経営する食料品店がちかくにあって、夕方を過ぎるとよく若いエジプト人が店番についていたから、訊いてみたのである。すると、軍事政権についてはひとつも触れず、「そりゃ、おれたちはエジプト人だからな」というような応えが返ってきたのだった。なるほどと思った。いっぱんに中東のほかの国であれば、やれスンニ派シーア派だと、宗教的なアイデンティティのよりどころが社会を分断しており、対立の起点になっている。エジプトの社会にも、たとえばコプト教徒のコミューニティの存在など、その点で融和し難い分断も内包されている。にも拘わらず、ナイル河畔にファラオを戴く何千年にもわたる栄光をよりどころとした、エジプト人としての強固なナショナル・アイデンティティが国民の団結を可能にしている──という解釈である。思い返してみると、じつに教科書的な話だが、一般の市民までがこうしたことを自覚していたのは、やはり教育の成果だったのだろうか。

  さて、元旦の夜に日本にいるばあい、ここ数年はNHKの特番を観ていた。なんといったか、若手の研究者らが現代日本社会の課題について討論をする番組であった。ネットではなかなか顧みられることのない意見や現状分析も聴け、なにより日本の今を知ることができて有意義であった。ところが、今年はなくなってしまったらしく、代わりにナショナリズムに関する番組が放送されていた(「100分deナショナリズム」)。出演者がなかなか豪華だったこともあり、みるともなしに観てしまった。アンダーソンについての解説に始まり、とくだん変わった内容ではなかった。それでもすこしく驚きを覚えたのは、いまやNHKですらナショナリズムの肯定的な面を伝えている印象を受けたことである。むかしはナショナリズムといえば、過去に対する「痛切な反省」だけからというわけでもあるまいが、もっぱらネガティヴなニュアンスを帯びて扱われていた気がするのである。

 「国民一致結束して」とか「オールジャパンで」とかいうと、労資間の対立をぼやかしてしまうこともあって、革新系の諸政党がナショナリズム自体を警戒するのも当然かつ実際的だった。イデオロギーの話は措いておくとしても、たんに日本人家庭の出身でない党員が多かったという理由もあろうか。ところが、連合の支持も失ったこともあってか、こうした勢力に労働者のための政党はすでに皆無で、「桜を見る会」批判なんぞを国会でつづける昨今のていたらくなども周知のとおりである。

 別の視点を挙げておこう。ナショナリズムを論ずる者には、おおざっぱに「近代論」と「原初論」というふたつの立場がある。

 いわゆる「近代論」というのは、ネイションやナショナリズムとは、近代における人工的かつ想像上の産物であり、その形成は近代化、産業化に起因する──という見解で、ゲルナー、ホブズボウム、アンダーソンらに代表される。いっぽう「原初論」とか「エス象徴主義」などといわれる立場も存在する。要は、ネイションはちゃんと歴史的起源を有しているというもので、アームストロング、スミスらによる。

 これも、むかし学校に通っていた頃の学界では「近代論」が支配的であった印象で、そういう教育を受けた。ところがいまや「戦後」は遠くなり、遅れてきた帝国主義の時代とか、米中新冷戦などともいわれる時代。たとえば共産中国が「当該島嶼は何千年も前からわが国の領土である」というようなことをいって、それがさかんに取り上げられるようになってみると、一般大衆だけでなく、インテリ層までもがそうした風潮に麻痺してしまって、「原初論」的な見方にも次第に抵抗感を覚えなくなってきたものであろうか。

 健全なナショナリズムが社会を安定させるというのは、エジプトの例にみても一理ある。しかし、むやみなナショナリズムの称揚には違和感もある──というのは旧い世代ということか。いずれにせよ、世界各地の危機や非常事態の報道とともに、あらたな時代のナショナリズム肯定の傾向は、今後もつづいてゆくのだろう。 

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)

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ナショナリズムの復権 (ちくま新書)

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