ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

冬のフィンランド

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photo by urashima-e

 先日、フィンエアーの便を利用した。日本から欧州を目指す際、フィンランドヘルシンキには、ほかの主要な都市よりも一時間から二時間ほど早く着くから、体力的な負担が軽い。これについては、タイミングよく航空ジャーナリストによる記事も出来した。

フィンエアーの日本路線は、今春から最大6空港週38便となる。特に福岡と新千歳では、欧州直行は同社だけであり、日本国内で成田、関西、中部や近隣アジア諸国を経由するよりも早く欧州各地へ到着する。新千歳発で往路9時間半、復路9時間でヘルシンキ・ヴァンター空港に着く。欧州の大手航空会社に比べて約2時間、飛行時間が短縮されている。

──欧州の弱小航空会社が「日本では敵なし」のワケ 

 日本からいちばん近いEU加盟国の首都──ということになるだろうか。地図に見ると、ブカレストやソフィアやニコシアなどのほうが近いようにも思えなくもないけれども、どうもメルカトルの罠というやつで、錯覚らしい。とはいえ、訪問の機会には恵まれず、ヘルシンキを雪のなか歩いたのは、すでにひと昔まえのことになってしまったが、折しもこの寒い季節ではあった。当時、チェコ語のコースで知り合ってからの長い友人を訪ねたのだ。

 史跡を訪れ、オペラにも連れていってもらい、本場のサウナも体験したが、かの地の情景に食いしん坊がまず思い出すのは、やはり食べものだ。朝食のピッティパンヌにはじまり、カレリアン・ピーラッカ、カラクッコやレイパユーストをつまむ。トナカイやヘラジカの加工肉はサンドウィッチにも向く。ヘルシンキは目の前が海だからか魚介類も豊富で、サーモン料理もうまかった。変わり種は、薬草っぽい香味のある、サルミアッキのキャンディーであった。

 緯度が高いため、昼食が済むとまもなく日が暮れてしまう北欧の冬である。それで暗いのは仕方がないが、悪天候にはまいった。その年は吹雪で飛行機も遅れがちであったものか、ヴァンタア空港のゲート前で、降りしきる雪と機材の除氷作業を眺めながら待った記憶がある。遅延に欠航、みぞれも結構、ならばオーロラの下ラッパライネンことサーミ人に会いにでも……などと閑に飽かせた連想ゲームは果てしなくつづいた。だがフィンランドといえば、意外に俊敏なムーミンの姿に空想がたどり着いてしまうのは、おそらく日本人にかけられた呪いのようなものだ。

 スウェーデン系マイノリティは、人口に占める割合は5パーセントほどであるにも拘わらず、その文化的地位は高い。スウェーデン語は公用語でもあり、1820年代に開設された最初の国民劇場も、主としてスウェーデン語で上演されるスウェーデン人の劇場であった。1860年以降は、ヘルシンキ中心部・エロッタヤ広場に立地する。ドイツ系マイノリティを追っ払って、文化施設をふくむ資産をことごとく接収してしまったチェコスロヴァキアとは異なって当然だが、劇場はとりわけ象徴的である。〈ムーミン〉シリーズの作者であるトーベ・ヤンソンのほかには、交響詩フィンランディア』のジャン・シベリウスも、よく知られたスウェーデン系の芸術家であった。

 芸術といえば、『マッチ工場の少女』を皮切りに、むかしからアキ・カウリスマキの映画などもよく観ていた。いわゆる単館上映のほかは、TSUTAYAで借りてくるVHSのカセットがもっぱらのメディアという時代であった。その頃の疑問は、フィンランドのひとびとというのは、ほんとうにあんなにぶっきらぼうなのかな、という素朴なものであった。じっさいのところ、その友人はともかく、市井のひとが道をゆく姿を見るにおよんで確信した。ああ、カウリスマキの映画といっしょだ、と。

 そうかと思うと、親しげに声をかけ、観光客とおぼしいアジア人をなんとか手助けせんとする、おおよそカウリスマキの映画には似つかわしくない積極的で朗らかなひとにも、たびたびでくわした。当時は、ノキアが「3310」によって世界の携帯電話市場で大成功をおさめ、外国からの訪問者も急増した時代だったようで、これが国民意識に影響しないはずはなかった。ややもすると排斥の傾向がはびこる今とはちがって、プライドのたかいナショナリストたちすら、国士たるもの外国人には親切にするもんだ、と純朴に考えていた良き時代であったのかも知れない。のちの中東情勢の変化が多くを変えてしまったが。そのころ公開された邦画に『かもめ食堂』もあったし、訪れる日本人も多かったと思う。お土産はむろん、マリメッコやイーッタラの雑貨である。

 その国のナショナル・アイデンティティについて手っ取り早くイメージをつかむには、首都の国立博物館に行ってみるのもいい。フィンランドのばあいは、やはり『カレワラ』に関する展示が見ものであった。ロシアとのせめぎ合いの果てに、アイデンティティを守り抜いた──というストーリーにしたがえば、マンネルヘイム将軍が持ち上げられているのも道理である。冬戦争に関連しては、シモ・ヘイヘも神がかった狙撃手として夙に知られている。ちなみに現代でも、狙撃銃向けの実包に.338口径ラプア・マグナム弾というのがあるけれど、この名もフィンランドのナンモ・ラプアなる弾薬工場に由来する。

 そういえば先ごろ、モータースポーツ・F1中継の解説者としてお馴染みであった今宮純氏の訃報に接したが、とまれ、なぜこの小国からあれほど多くの卓越したレーシング・ドライヴァーが輩出したのか、理由はわからない。ミカ・ハッキネン、ミカ・サロ、キミ・ライコネン……「フライング・フィン」と称されたものだ。とにかく速かった。──などと思いをめぐらすうちに、ヘルシンキに到着してしまった次第。はやい。成田から8000キロにも満たない地図上の距離にくわえて、エアバスの新型機A350は、旧い機種と比較して巡航速度が微妙に速くなっているから、その恩恵もあるのかもしれない。

 このご時世にしては、機内食も上等だった。けれども、言いたくはないが、ビールは相変わらず酷い。〈Karhu〉ブランドのビールなど、それこそ10年ぶりに飲んだが、かつて「すみません、もうチェコのピヴォの悪口は言いません」と、友人のチェコ人の旦那に言わされたことを思い出した。致し方ない。コスケンコルヴァにフィンランディアと、ほんらいウォトカ文化圏に属す土地柄であることは言を俟たない。所詮は好みの問題ではあるものの、ビールはチェコの製品がよく売られていた、ヘルシンキの街々であった。

 トランプ政権が徐々に極東への関与を弱めてゆけば、習近平王朝の興隆とともに日本が「フィンランド化」することも大いに起こりうる。とはいっても、あのビールだけは御免である。ヘルシンキの思い出に浸るとき以外には……

1/600 A350-900 フィンエアー

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*参考:

president.jp

www.visitfinland.com

forbesjapan.com

ddnavi.com