ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

グレタさんと追憶のポピュリストたち

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Photo by Karsten Würth

 グレさんが話題らしい(グレさん、グレちゃんといった字句でグーグル検索してみると、なにかアニメのキャラクターが表示されてしまうが)。

 話題沸騰といっても、いわゆる「炎上」にちかいほうの意味であって、ただし、袋だたきのごとき純粋な「炎上」でない以上、それはたいていの場合、賛否両論ということを意味している。

 グレタ・トゥーンベリ(グレータ・テューンベリ)氏とは、十代にしてすでに環境問題の活動家らしいのだが、地元スウェーデン議会への抗議活動ののち、2018年、ポーランド・カトヴィツェで開催されたCOP24(国連気候変動会議)でスピーチを行って知られるようになった。といっても、ほんとうに「ブレイク」したのは、このあいだのニューヨークの国連本部における、ケレン味にあふれた演説だろう。ここで、とりかたによっては過激な、右も左もすべてを敵にまわすようなことをぶち上げた。

 端的には、持続可能性という考え方を、けちょんけちょんに斬って捨ててしまったことである。1970年代の新環境主義の勃興を機にエコに取り組みはじめた北米や西欧の当時の若者たちが、やっとたどりついた現実的な人類救済の方途を、ばっさり否定してしまったのだ。外野からは、仲間割れないし内紛にしか見えないではないか。

 そうかといって、このグレータさんが、かつて流行った「第三の道」のような、あらたな政治的習合主義を志向しているのかというと、そうとも見えない。というより、なにか深い考えがあるようにはまったく思えない。

 とりわけ保守系の各国首脳からも盛大に揶揄されたらしいが、それも致し方あるまい。議論を喚起することが目的だったのだ、という解釈もあるようだが、すでに国連で議題になっている問題をあらためて喚起するのが、それほど大事なことなのか。むろん、いまだ一顧だにしないような政治指導者も跋扈してはいる。そうした連中はたいてい、エコと経済成長は両立しないから、エコを捨てて経済成長を図るのだ、と主張する。それだからこそ、持続可能な成長という概念が有効な反論の支柱になるのに……とは考えないのだろう。グレさんにかかると、そうした妥協は許されないのだ。

 
 ──ところで、「第三の道」とはまた、懐かしい言葉ではないか。The Third Way, Dritter Weg, třetí cesta... 二十世紀末といえば、トニー・ブレアやゲアハルト・シュレーダーといった中道左派系の政権が欧州各国で出来した。ほかにも往年の政治家として、スィルヴィオベルルスコーニや、つい先日亡くなったジャック・シラクなどを思い出すが、とまれ、これを称して「ヨーロッパ新潮流」と伝えたひともいた。

 リベラル系の政治家らが我が世の春を謳歌した一方、過激な反動的ポピュリストもクローズアップされた。咄嗟には、さしあたりヨェルク・ハイダーや、ピム・フォルタインといった名が思い浮かぶ。

 ハイダーは、元ナツィ党員の両親のもとに生まれ、過激な言動がたびたび話題にはなったが、地元ケルンテン愛を強調した典型的な保守派政治家で、住民には絶大な人気を誇った。それだから、2008年にポルシェをぶっ飛ばして事故死したときは、じつは暗殺ではないか、とも噂された。けっきょくは直前の飲酒が証明されたが、どこぞのタブロイド紙の記事のものであろう"Im Tod sind alle gleich"という見出しは、いまだに記憶に残っている。生前は差別のような発言も辞さなかった故人だが、「死は平等」であるという、寸鉄刺すような冷徹な至言であった。

 いっぽう、ピム・フォルタインといえば、オランダで過激な発言がしばしば取り沙汰された政治家で、メディアにはハイダー同様に極右扱いされたが、労働党にも所属した性的少数者でもあり、中道左派を自認していた。ゲイを認めないから「イスラム教は時代遅れの宗教」だという発言がWikipediaの記事には引用されているが、これなどはまさに、いわば政治的マイノリティどうしの内紛ではないだろうか。けっきょく、独自の新党を立ち上げて国政選挙に臨まんとした矢先、動物愛護団体にいたというフォルケルト・ファン・デア・グラーフなる青年に、拳銃で射殺されてしまった。真相はよくわからないが、過激な発言が死を招いた、死は平等だ、とショートカットしたくなるのが大衆の心理だろう。

 過激な言動なくして政治活動などできぬのかもしれぬ。新興勢力や少数派がエスタブリッシュメントに挑む場合はなおさらであろう。さらに、いまやSNS全盛のご時世で、以前にも増してポピュリストが生まれやすくなっている。グレタさんは、ポピュリスト政治家たちにポピュリスト的手法で対抗しただけ、ともみえる。そして、世の耳目を惹くことには大いに成功した。

誰もがグレタを愛しているわけではない。私のSNSのニュースフィードは大学院教育を受けたエリート専門家の書き込みであふれているが、その内容は彼女に対する嘲笑の嵐だ。夢と子供時代を奪われたという国連演説の一節を取り上げて、若いシリア難民や飢えた子供と、移動中の列車でごちそうを食べるグレタの写真を対比させた画像もあった。

 

トランプ米大統領もグレタたたきに加わり、子供っぽさをむき出しにしてツイッターでからかった。

「人々は苦しんでいる。人々は死んでいる。生態系全体が破壊されている。私たちは大量絶滅の始まりにいる。それなのにあなたたちが話すのは、お金と永遠の経済成長というおとぎ話だけ」──トランプはこの国連演説を引用する形で、「彼女は明るく素晴らしい未来を願うとても幸せな少女のようだ。見ていて楽しい」と、皮肉っぽくつぶやいた。

──マララと真逆のグレタ・トゥーンベリが、人々の心をつかめる理由 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

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ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書)

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*追記:

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