「百合の花」というと仲夏の季語で、日本原産の「ヤマユリ」にかぎっても、夏に花をつける品種がおおい。6月30日生まれの誕生花でもあるそうだ。つとに19世紀、ウィーンの万博で紹介されたこともあって、もともとリリーの人気がある欧州に、球根がさかんに輸出されていた時代もあった。このヤマユリが神奈川の県花にも指定されていることは、むかし小学校で習った。
2016年7月26日未明、神奈川県立の知的障害者福祉施設・津久井やまゆり園で起きた大量殺人事件であるが、報道によれば、おぼえていないという向きもおおいという(参:相模原障害者施設19人殺害、5人に1人覚えてない:NHK調査|NHKニュース)。
個人的にはよくおぼえている。テロ事件の多い時分だった。というのも当時は、いわゆるイスラーム国の全盛期だった。だが、それだからこそ記憶に残っていない、というひとも多そうだ。
たとえば、同年の6月末に、トルコ・イスタンブール空港でテロがあった。7月1日にはバングラデシュ・ダッカでレストランが襲撃された。14日には、南仏ニースで大型トラックを駆使したテロ。18日には独ヴュルツブルクで斧による鉄道テロ。22日には同ミュンヒェンで銃乱射事件。翌23日にはアフガニスタン・カーブルで自爆テロ。さらに翌24日には、独アンスバッハとロイトリンゲンでそれぞれ爆発物と刃物による事件が起きた。──そして、やまゆり事件が発生した26日にも、仏ノルマンディー地方の小村で教会立て籠もり事件が起きていたのである。その間、ハーグの国際法廷では中国の南シナ海に関する判決が出、英国ではテリーザ・メイ政権が成立した。トルコでクー・デタ未遂事件もあった。渦中のイスタンブールでは、世界中に散在するル・コルビュズィエの諸建築がユネスコの世界遺産に登録されるべきか、という会議も開催されており、東京上野の西洋美術館もにわかに注目された。日本では、ことしと同じく夏の参議院選挙が実施され、7月末には東京都知事選挙も控えていた。先帝のいわゆる「生前退位」がリークされたのもこのころだ。さらに「ポケモンGO」の配信が各国ごとに連日はじまっており、任天堂の株価が飛躍するきっかけになった。
──となれば、記憶に残るか否かはともかく、ニュースの大海のなかで埋もれてしまっているようにもみえる。
2020年1月から横浜地裁で始まるという裁判を通じて、真相の解明はすすむだろうが、戦後最大規模の大量殺人事件は、すでに様々な観点から議論を巻き起こしてきた──植松聖被告が主張した「障害者不要論」と、そこから想起される「生きるに値しない命」や、ナツィスの優生学の影響、パーソナリティー障害の扱い、措置入院制度の運用あるいは制度としての妥当性、障害者福祉施設の労働環境、同種の施設の警備体制……
そう考えると、「覚えていない」という回答がいかに衝撃的なことか。
だが「忘れてはいけない」とお題目を唱えたところで、人びとの記憶は非情である。事件や事故、災害等を風化させまいという運動や活動はごまんとあるが、もしこの事件を思い出させるシンボルが必要とあらば、ヤマユリの花など、うってつけだと思う。マスメディアは「相模原障害者殺傷事件」などと、おそらく官製の、無味乾燥な呼称しか用いないが……
参考)