ニキ・ラウダが亡くなった。昨夏の肺移植手術、そして今年の1月には入院したという報道もあり、健康が心配されていた。やはり1976年の事故が遠因であろうか。
アーノルド・シュワルツェネガーと並ぶ、現代オーストリアの著名人──というふうにORFのニュースで紹介されていたが、とくに国外での認知は群を抜いていた。これ以上の知名度となると、歴史上の人物しかいないのではないか。つまり、モーツァルトかヒトラーくらいのものだろう。
そのシュワルツェネッガーも、Twitterでコメントしている。
Niki was a champion. He was an icon. He was an Austrian treasure. He was one of my dear friends. I will miss this generous, trailblazing hero with my whole heart. https://t.co/9Eq9jp4qMK
— Arnold (@Schwarzenegger) May 21, 2019
モータースポーツと航空会社の経営の分野で注目されていた。ニュースでも、F1のドライヴァーとして、また経営者として、ふたりの解説者がそれぞれの解説をするほどだった。それぞれの分野で、事故に負けずに闘いつづけた。
さらに近年では、映画『ラッシュ/プライドと友情』が話題になった。ジェイムズ・ハントとの葛藤と友情を描いていたが、実話にもとづいていたことに意義があった。当時のファンはふたりの関係について、この映画とまったく同様に見ていたにちがいなかった。自由で奔放なハントと比較されたゆえ、ラウダには「走るコンピューター」の異名が生まれたが、じっさいにはなによりも情熱のひとだった。
1991年、墜落した自社のボーイング767-300ER機──当該機の愛称は「モーツァルト」だった──をタイの現場に視察し、事故に「降伏」することなく、「戦って勝つ」べく、奮闘した。結果、主たる事故原因となった、逆噴射装置の誤作動に関して、ボーイング社の想定や事前の説明に不備があったことを認めさせ、世界の空の旅を一歩、安全なものとすることに成功した。この「ラウダ航空004便墜落事故」は、ナショナル・ジオグラフィックの『メーデー!:航空機事故の真実と真相』でも詳しくとりあげられたので、ラウダの尽力がひろく知られるようにもなったことであろう。
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