ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

クリスマスには鯉(2)

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 クリスマスは、異教の冬至の祭りに由来する。ジェイムズ・フレイザーなどを読むと、そういうことが延々と論証されている。のち、それをキリスト教会が採り込んだものであると。

 中部ヨーロッパにおいて、クリスマス・ディナーのさいに鯉をたべる慣らいがあることは、以前も書いた。魚ということで、ついキリスト教と結びつけたくなるし、じっさい中世のむかしから説教師はいろいろこじつけたという記述もあるにはあるが、がんらいクリスマス自体がキリスト教に連関がなかったのだから興も醒める。

 一説に「クリ鯉」が習慣として一般庶民にひろく普及したのが第一次大戦後であったとされるのは、戦争末期からつづいた食糧難の影響かもしれない。ウィーン料理の歴史をひもとくと、この時期、おおよそ用いられないような食材が活用されたというのだ。鴉の肉まで喰ったというくらいで、なんだか気味が悪いが、それほど逼迫していたものと偲ばれる。クリスマスくらいはまともな食事を、というニーズが戦後の市中に急増したとしてもふしぎはない。鯉は養殖しやすい魚といわれ、入手もまたすぐに容易になったのではないか。

 じっさい、鯉はそれ以前から日々の食卓にのぼっていた。日本の内陸部においてと同様、海からへだたった土地では、ふるくから重宝された食材だった。19世紀前半からハプスブルクの帝国において絶大な人気を博していた料理の書というのがあって、そこにも鯉料理のレシピが載っているのである。

 マグダレナ・ドブロミラ・レティゴヴァー(レティヒ夫人)による『家庭の料理書──ボヘミアモラヴィアの子女のための肉料理と精進料理に関する論考』というのがそれだ。この書は、帝国じゅうで愛読され、作成者不明の海賊版すら出まわっていたというほどだった。チェコ語とドイツ語の版で増刷されつづけ、いまでも復刻版が売られている。チェコスロヴァキアでは「ブルジョワ文化」として家庭料理の文化が衰退の極みにあった社会主義時代にも、使い古された同書が母から娘へとたいせつに受け継がれたそうである。

 さて、いまもクリスマスの団欒にこのんで供される「鯉のフライ(スマジェニー・カプル)」にしても、単純な料理であるがゆえに、同書にあるレシピも現代のそれと調理法じたい大差はない。

 ──捌いた鯉を切り身にしたのち、塩してから半時間ほどおき、その身を布で拭いてから、穀粉、卵、「すりおろしたゼンメル」の順につけて衣を形成し、熱したバターで「赤く」なるまでよく揚げ焼きすべし──というものだ。カワカマスやペルカやほかの魚も同様に調理できる、とされているが、川魚ばかりが例に挙げられているところが内陸のボヘミアモラヴィアらしい。

 また、現代チェコ語にはstrouhankaという語があるが、同書では上のように「おろしたゼンメル」と表現されている。ちなみに粗挽きが特徴的な日本のパン粉も、いまやpankoとして世界で知られるようになっている。だから、流通や小売りの業界では、strouhankaの一種ではありながらも、pankoは特定の種類の商品をさす語でもある。

 文法面で面白いのは、現代のチェコ語のレシピが直説法か命令法の一人称複数、すなわち「……しましょう」と書かれるのにたいし、同書では命令法・二人称単数、つまり「……せよ」「……しろ」「……すべし」というふうに書かれているところだ。「指南書」ということばがしっくりくる。

 ほかにも、同時期のウィーンでは、アナ・ドルン夫人がものした料理書がよく知られているが、こちらにも鯉料理のレシピが複数でてくる。それほど、ハプスブルク帝国ではひろく鯉が好まれていたらしい。

 ところで今年はというと、世界的な物価高騰のなか、文化を継承した国ぐにではクリスマスをまえに鯉の小売り価格もつり上がったと報道されていた。さらに気がかりなのは、これから年明けにかけてのウクライナ情勢である。集結したロシア軍との鞘当てのゆくえ次第によっては、インフレやエネルギー危機にも拍車がかかり、カラスまで喰ったという100年あまり前の悪夢の食生活がもどってこないともかぎらない。

 ウクライナとて旧帝国領の例にもれず、鯉食文化があるのだ。……もうすこしオーストリア=ハンガリーチェコスロヴァキアという「自国」の歴史を気にかけていれば、そもそも2014年からのウクライナ内戦にも異なったエピローグを準備できたのではあるまいか。

 ごく短期ではあったとはいえ、ウクライナ語をめぐる一方的な言語政策は偏狭な民族史観の産物にちがいない。全人口のほぼ半数にのぼるロシア語を母語とする人びとの反発も招いた。これに付け込んで工作をすすめたのがロシア連邦だった。けっきょく、ロシア系住民が多数派を占める東部地域は、かつての「ズデーテンラント」と化してしまった。

 おろかな人類は何も学んでいない。19世紀の魚フライの作りかた以上のことを学び直さねば……。

 

*参照:

www3.nhk.or.jp

www.bbc.com

*上掲画像はWikimediaより

 

犬かけて──チェコ共和国・ゼマン大統領と憲法論争

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photo by Florian Olivo

 ソクラテスが「犬にかけて誓う」といったのは、正確には「エジプトの犬」、つまりアヌビス神を引き合いに出して、みずからの言の真実を約したのだ──という話がある。

 絶対的な存在を挙げて誓う習慣は、洋の東西を問わずひろく見うけられる「人情」であるように思える。日本語でも「神掛けて」という連語が、じつに『源氏物語』における用例とともに辞書にあるくらいだ。

 ドイツ連邦共和国憲法たる「基本法」においては、第59条で連邦大統領が就任するときの宣誓の文言が規定されているが、さいごに「神」がでてくる。

私は、私の力をドイツ国民の幸福に捧げ、その利益を増進し、損害を回避し、基本法および連邦の法律を守り、かつ擁護し、良心に従って私の義務を果たし、何人に対しても正義を行うことを誓う。神よ、我れの、かくあるべく助け賜え。

──ドイツ連邦共和国基本法・三カ国語対訳

 とはいえ、これでは「信教の自由」(同4条)に抵触するおそれがあるからであろう、つづく第二項によって留保されている。──「宣誓は、宗教上の誓約なしに行うこともできる。」と。

 いっぽう、1993年に施行されたチェコ共和国憲法でも、やはり59条で共和国大統領の宣誓を定めている。

私は,チェコ共和国への忠誠を誓う。 私は,共和国の憲法と法律を遵守することを誓う。私は自らの名誉にかけ,全人民の利益のために自らの最高の見識と良識をもって,自己の職務を遂行することを誓う。

──早川弘道ほか訳「チェコ共和国憲法」『比較法学』36巻1号、2002

 ちなみに同69条には、共和国首相の宣誓についても規定がある。

私はチェコ共和国への忠誠を誓う。私は,共和国の憲法と法律を遵守し,それらを実施することを誓う。私は自らの名誉にかけて,自己の職務を誠実に遂行し,その地位を濫用しないことを誓う。

──同上。

 いずれにせよ、こちらの憲法には「神」が出てこない。「自らの名誉」という曖昧で相対的な代物がこれに替えられている。

 同共和国における「思想・良心・宗教の自由」については、同憲法と同時に成立した「基本的権利および自由の憲章」によって保障されている。憲法はこれを厳格にまもっているともとれるが、歴史的な無神論大国であるから、もとより「神」をもちだすことが馴染まないとされても何の不思議もありはしない。

 ただ、「共和国への忠誠」を誓うのに「自らの名誉」という、いわば自由裁量でもってするのは、やや不釣り合いな気がする。「人情」に欠ける気もする。いずれにしても「政治家の口約束」にすぎぬことにかわりはないわけだが。

 となると、現職のミロシュ・ゼマン大統領がなにをもって「自らの名誉」としているのか、不安になってくる。「共和国への忠誠」にしても、それが「『中華人民』共和国への忠誠」でないとは否定しきれまい──という皮肉のひとつもいいたくなるのは、このところ同大統領が、またぞろ相応の態度を示しているからである。

 先週、『ポリーティコ』でも報じられていたけれど、任命済みのペトル・フィアラ首相の次期内閣において外務大臣に就任することになったヤン・リパフスキー元代議院議員(海賊党)について、任命を拒否したのだった。──ただ、この問題は週明けには解決し、金曜日には無事に新内閣が発足する見込みと報じられている。つまり、いったん拒否した人事を大統領はしぶしぶ了承したわけだ。

 大統領が人事を拒否した時点では、憲法68条がとりあげられていた──「①政府は,下院に対し責任を負う。②首相は,共和国大統領によって任命される。首相の提案に基づき,大統領は,政府のその他構成員を任命し,政府構成員に省またはその他の官庁を指揮する権限を与える。」

 同条文によると、大統領には拒否する権限がない、というのが憲法学者らによる、おおかたの解説であった。それだから、フィアラ新首相にしても憲法裁判所に提訴する意向を表明してもいた。

 報道によると、ゼマン大統領の拒否の言い分としては、リパフスキー氏が学士号しか取得していないのが不満との由であった。ほかに同氏のヴィシェグラード・グループと距離をおく態度や、ズデーテン・ドイツ人問題への融和的な姿勢、さらに対イスラエル外交における方針を問題視し「新政府の準備したプログラムと相反する」と主張してもいたが、これらのほうが主たる理由であったことは間違いない。

 もともと、チェコ共和国のようなドイツ文化圏の大学では修士号にあたる「マギストゥル」がながらく基本的な「大卒」の学位であって、欧州連合EU)加盟後にブリュッセルのお達しによって、学士号にあたる「バカラーシュ」課程が無かった専攻にも急ぎ設けられたという経緯があった。リパフスキー氏の有するプラハ・カレル大学の「学士」では、頭のふるい世代には「大卒」とは認め難いという理屈も成り立つのだろう。ところが、前政権で外相もつとめたヤン・ハマーチェク副首相などは、それすらも有しておらない、いわば「高卒」だったことから、大臣就任を拒否する理由にはなっていないとの批判が相次いだのだ。ちなみに、チェコ共和国の高等教育や学位にかんしては、たとえば『チェコとスロヴァキアを知るための56章』(薩摩秀登編、明石書店、2003)の「チェコの教育制度──ドクトルがたくさんいるわけ」に簡潔にまとめられている。

 「中卒」の宰相で近年も人気が高まった田中角栄の例などを知るわれら日本人としては理解に苦しむ。だが、リパノフスキー氏の経歴に「マッキンゼー」とあるのを見るや、ゼマン大統領ら「共産主義者」たちが拒否反応を示す心境について、ぴんとくるのである。要するに、外相が親米派では困るのであろう。なにより、中国やロシアに対する強硬な姿勢で知られる御仁である。

 端的に、ゼマン大統領が駄々を捏ねたわけは何かと邪推すれば、今夏の『人民網』の記事がまず浮かぶのである。同大統領が中国の習近平主席との電話会談をおこなったというものだ。

習主席はゼマン大統領との会談で、「中国及び中国の発展を正しく受け止め、中国とチェコの意思疎通及び協力の強化に尽力し、関係する問題を適切に処理して、両国関係の健全性及び活力の維持を図る関係者がチェコ側に増えることを希望する。双方は『一帯一路』(the Belt and Road)共同建設などのプラットフォームを活用し、新コロナウイルス感染症との闘いにおける協力を深め、経済活動の再開及び回復を推進し、相互投資及び貿易を促し、注目点となるような協力を増やすべく努力する必要がある」とした。

ゼマン大統領は、「チェコ側は中国との友好協力の強化に尽力しており、中国側と緊密に意思を疎通し、妨害を排除し、両国関係の健全で順調な発展を確保することを望んでいる。双方が共に努力して、経済協力を促進することを希望する」とした。

──習近平国家主席がチェコ大統領、ギリシャ首相と電話会談--人民網日本語版--人民日報

 「妨害を排除」すると習主席に誓った手前、これまでも中国へ恭順の意を示してきたゼマン大統領としては、いずれにしても海賊党から外相をだすことは阻止したに違いない。同党はリパフスキーのみならず、なかんづく台北への留学経験まであるズデニェク・フジプ・プラハ市長に象徴されるけれども、親台湾政党といっていい。また、ヴィシェグラード・グループにしても、いまやEU内の「半グレ」集団に堕した観もあるが、ハンガリー・オルバーン政権に典型的にみられるように親中国の傾きもあり、ゼマン大統領も外交の枠組みとして重視してきたものだった。

 せんじつ同大統領が入院していたさいには、憲法第66条にある「共和国大統領が重大な理由によりその役職を行使できない場合」の「権力移譲」についての議論が盛んになったものだった。これだけ憲法の規定をおびやかしつつも必死に抵抗しているとも言える。そのゼマン大統領が「自らの名誉」をかけても共産中国に忠誠をつくす、その真意があきらかになる日はくるのだろうか。

 

*参照:

ct24.ceskatelevize.cz

www.politico.eu

www.derstandard.at

j.people.com.cn

ペトル・フィアラ──チェコ共和国の新首相

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photo by Richard Ley

 11月28日の日曜日、市民民主党ペトル・フィアラ党首が、チェコ共和国首相に任命された。同党は政党連合SPOLUとして先日の選挙を制していた。

 ミロシュ・ゼマン共和国大統領は、選挙に先だつ10月10日から集中治療室で加療中で、ようやく11月25日木曜日に退院。ところが、プラハから40kmほど西のラーニにある大統領公邸に移動したのちに、新型コロナウイルスに感染していることが判明し、翌金曜日に元いた中央軍事病院に舞い戻った。そのため、新首相の任命式は日曜日にずれ込んだ。

 任命式において、水槽のような衝立のなかにひとり車椅子ごと鎮座するゼマン大統領と、その前に直立して抱負を述べるフィアラ新首相の映像が放送・配信された。金魚のようで滑稽な自国の国家元首を目の当たりにした市民らが、リモートで行うという手もあったのではないかとSNSでさかんに批判していたのも当然と思われた。

 フィアラ新首相は任命後、雪の降るなか記者に会見した。そこで「自由には責任が伴うことを理解し、予防接種を受けた市民に感謝します。ワクチンを打っていない方がたには、ぜひ接種を受けることを検討して、この一歩を踏み出していただくよう要請したい」と述べ、あわせて、すべての医療関係者と医師にたいする謝意を表明した。

 アンドレイ・バビシュ前首相の「接種を受けていない連中は自分勝手だ」という言辞が日本の報道記事にもあったが、ほぼ同じ意味内容ながら対照的な物言いという印象をうけた。

 新政権の政策はまもなく明らかになるとして、ペトル・フィアラ首相の来歴を簡単に紹介しておこう。

 一般には、政治学の研究者・教師だと思われている。

 選挙ビラ等の資料によると、1964年、同共和国ブルノに生まれた。

 1983年に同市内の大学、哲学部に入学(民主化後のマサリク大学)。当初の専攻はチェコ語と史学であった。

 1986年、スタレー・ブルノ地区の聖母被昇天聖堂にて受洗。

 1987年、友人らとサミズダト雑誌『レヴュー88』を編集。

 1988年、徴兵に応ずる。

 1989年11月、民主化デモに参加し、将来の妻・ヤナと知り合う。

 1990年、仲間たちと同学部に政治学科を開設し、のち29年にわたって主任を務める。

 1992年、結婚。追い追い三人の子どもにめぐまれる。

 1998年、同大学の社会科学部の開設に参画し、のち学部長にも就任。2004年、同大の学長就任。

 2012年(ペトル・ネチャス内閣にて)学校教育・青少年・体育大臣に就任。

 2013年、市民民主党(ODS)南モラヴィア県連推薦の無所属候補として出馬し、代議員に当選。2014年、同党首に選出さる。

 2017年、有権者のつよい支持をうけて、ふたたび代議員に選出……などと紹介されている。

 同国では、25日深夜から非常事態宣言が発効しており、商店の営業時間が制限されるなどしている。また、南アフリカに由来するオミクロン型変異種によると思われる症例も、27日までに確認されていると伝わっている。週明けからの、新首相の初動に注目したい。

 

*参照:

www.jiji.com

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news.yahoo.co.jp

www.nikkei.com

jp.reuters.com

jp.reuters.com

news.yahoo.co.jp

mainichi.jp

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不平等条約と斜陽の帝国

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photo by AG-Pics

 前まえから予定されていた、気候変動枠組条約締約国会議「COP26」も、気がつけばとっくに閉幕していた。石炭火力の廃絶をめぐって紛糾したが、ついに当たり障りのない形だけの「合意」を結ぶにとどまった。いずれにせよ、茶番だと言われても仕方がない。

 この手の気候保護にかかわる地球規模の交渉で、まいかい聞かれる不平が「不平等」だというものだろう。そもそも排出量も産業構造も一様ではないのに、同一の条件に合意したところで、国によって産業や国民生活への影響もまた、さまざまだ。

 日本などは同意を見送ったものの、他の多くの国ぐにが不平等に目をつぶって調印したのには、交渉の過程でそれを補って余りある利益が見出せたために違いない。最終的な国益のまえに、名を捨てて実を取るがごとし。中国に懐柔された国ぐにも責めることはできまい。

 日本人としては、思い当たるふしも多い。なかでも、文脈の説明もなしに「不平等条約」と言ったばあい、しぜん、幕末から明治にかけて欧米列強と締結した一連の条約がおもいうかぶはずだ。

 幕末1854年の「日米和親条約」と4年後の「日米修好通商条約」にはじまって、明治二年(1869)の「日本國澳地利洪噶利國修好通商航海條約」に完成をみたとされる、欧米列強との「不平等条約」群のことである。

 列強のしんがりとして明治日本のまえに立ち現れたのが「澳地利洪噶利國」、すなわちオーストリア=ハンガリー帝国だった。つい大政奉還とおなじ年に、ハンガリーとの間にアオスグライヒ(妥協)を結んで成立したばかりだ。すでに「斜陽の帝国」へと傾きはじめていた。

 このときの「条約書」が面白い。いまや、文書の写しが国立公文書館国立国会図書館のサイトから入手できるようになっている。

日本天皇陛下と澳地利皇帝婆希密等のキン兼洪噶利アポストリックキン陛下兩國の交際を永久親睦にし且兩國臣民の貿易を容易ならしめん事を欲し其か爲和親貿易航海の條約を結ん事を決し[...]

──単行書・澳地利国条約書・全(適宜ひらがなに表記を改めた。以下同)。

 「澳地利」には「ヲースタリア」、「婆希密」には「ボヘーミア」、「洪噶利」には「ホンガリア」と、それぞれ読み仮名が振ってある。なかなか味わいがある表記だ。

「キン」というのは英語のキング(king)のことで、「アポストリックキン」というのはハンガリー王の公称「使徒にして王」を英語から音訳したものと察しがつくが、やはりそうらしい。東京で調印された「條約」は「日、獨、英文」とあり、じっさいあった(墺地利洪牙利国)。

 あれこれ腐心して翻訳したのであろう。なんといっても大政奉還から昨日の今日で、明治改元の詔から1年ほどのことである。まだ、明治五年までは、旧暦が使用されていた。急ごしらえの近代国家だ。

 いずれにしても、明治政府は、領事裁判権などによる多少の不平等を不問に付しながら「貿易を容易ならしめん事を欲し」たのだろう。条約文に正直に書いてあるとおりだ。ペルリ来航から15年あまり。開国の流れに疑問の余地はなく、背に腹はかえられなかった。

 ところが、まもなく意気揚々と敵地に乗り込んだ岩倉使節団のお歴々の目には、欧州の文明はあまりにも眩しく輝いていたらしい。それが祖国の後進性を痛感せしめ、いったんは不平等諸条約の撤廃を断念せざるを得なかった。

 けっきょく上の「條約」が改正されたのは、日清戦争に勝利して国際的に地歩を固めたのちで、明治三十一年(1898)のこと。その「通商航海條約」の文面もオンラインで閲覧が可能。

日本國皇帝陛下及墺地利ボヘミヤ國洪牙利國皇帝陛下は両國臣民の交際を皇張増進し以て幸に両國間に存在する所の厚誼を維持せむことを欲し而して此の目的を達せむには従来両國間に存在する所の條約を攺正するに如かざるを確信し公正の主義と相互の利益を基礎とし其の攺正を完了することに決定し[...]

──帝国ト墺地利洪牙利国トノ通商航海条約及追加条約・御署名原本...

 ずいぶんと翻訳が洗練された印象がある。すでに明治二十三年には「大日本帝国憲法」も施行され、日本は近代的立憲国家に脱皮していた。

 仔細に視ると、オーストリアの表記が「澳地利」から「墺地利」へ、つまり「さんずい」から「つちへん」に替わっている。当時はまだアドリア海トリエステの軍港なども領有していたとはいえ、狭義のオーストリア内陸国であることを思えば、より相応しい感もある。ボヘミア王国については「ボヘミヤ」とカタカナ表記になっている。「天皇」は「皇帝」になっているが。

 なによりも、屈辱であった不平等条約を改正するのだと、文面からも明治政府の力みようが伝わってくる。「公正の主義」と「相互の利益」にもとづくというのは、要するに、対等の立場から、というのを強調しているわけだ。最初の「日澳条約」締結からは、およそ30年が経っていた。

 ところが、それから僅か20年のち、この列強の一角であったドーナウ帝国が崩壊しようなどとは、締結にかかわった明治の指導層も夢想だにしなかったのではないか。しかもその際には、日本帝国は戦勝国の一員として、君主政の解体と継承国家群の創造に関与していたのだった。ある意味、不平等を呑まされた相手を、半世紀にわたる臥薪嘗胆を経て打ち負かしたかのようにもみえる。ゆきがかりじょう、日英同盟の手前もあった。それでも要領よく漁夫の利も得たのだから、不平等の嘆きも「今は昔」の感すらいだく。

 ヴィルヘルムにしろ、フランツ・ヨーゼフにしろ、皇帝みずからが国政に積極的に関与しつづけた君主国は、どちらも崩壊してしまった。伊藤博文にしても、ほかでもないベルリンやウィーンにて憲法を学んだのだから、皮肉なものである。けっきょくシュタインの助言も手伝って、プロイセン憲法を手本に帝国憲法を制定することになったわけだ。そういえば、帰国後の伊藤が欧州に書き送った礼状の一通は、このブログによく出てくるモラヴィアにあって、同ブルノの公文書館に保管されている。「東京でお世話になった先生が埼玉に住んでいる」くらいの感覚である。ウィーンが近代的立憲国家としての日本の「揺籃の地」であるとすれば、それをうらづける「証人」も近郊で眠りについている。

 とまれ、まったく将来が見通せないなか、忍びがたき不平等を忍んで国運を賭けた、往年の元勲らであった。数十年のスパンでみれば、それは吉と出たといえるのだろう。

 ひるがえって、東シナ海もきな臭くなってきた昨今である。人権問題が物議を醸しつつも、北京における冬季オリンピックも近づいている。前回の大会、つまり2008年の北京五輪の前後が、中国にとって対米開戦の絶好のタイミングである由と放言する者もかつてあったが、今回はどうか。数十年の間に大国として興隆した中国を尻目に、日本は衰退をきわめる。経済は「失われた30年」を見、人口は今後も減少の一途だ。クリーンなエネルギーを云々するまえに、日本という国が50年後にも存在しているものかどうか、心細くもなってくる。

 

*参照:

www.bbc.com

president.jp

www.nikkei.com

www.ndl.go.jp

緑のパプリカ

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photo by outside click

 夏のウィーンだった。屋号に「台灣」の文字がはいった飲食店があった。けれども、お品書きの顔ぶれは台湾料理というのとは異なっていた。かわりに地方にかかわりのない、無難な中華風料理が並んでいた。

 それで「台湾のかたですか」と店のひとに訊いたらば、はたして先方は、にやにやしながら首と掌を横に振った。中国本土、まったく縁もゆかりもない地方の出らしかった。申し訳なさげな表情にもみえたが、ナッシュマルクトあたりで朝鮮半島の人が寿司バーをやっているのにくらぶれば、どうということもないように感じた。商品が高値で売れる地名を、好きに用いればよいと思う。欧州の消費者が台湾料理を知るまでは。

 そして、いつぞやの秋口。フライブルクの昼休みに、駅からほど近いスタンドへ、塩辛い中華をかきこみに急いだこともあった。店主は、同じアジア人の誼みからなのか、にこにこしながらコーラを一本おまけしてくれた。ドイツ語に難があったらしく、表情のみの意思疎通となった。──あんちゃん、こんなところまで来てえらいなあ、と言っているように見えたが、真意はさだかではない。

 ヨーロッパで中華料理というと奇異に思えるかもしれないが、はずれのない外食としては、手頃で無難な選択肢だと思う。

 そして、今ごろの時期に青椒肉絲(チンジャオロースー)がたべたくなったことがある。寒くなってきた候のプラハだった。たぶんプラハ。ちょうどこの季節だった。

 チィンジァオロウスゥできますかと、四声も曖昧な当てずっぽうの拙い発音で、中国語の料理を乞うてみたのだった。

 祖父が旅行に連れて行きたがっていた小学生のころ以降、NHKラジオ講座の中国語が継続できたのは、最大で数か月だけ。その後は、断続的に三日坊主をやった。それも、忘却曲線が時間軸を這うようになって久しかった。──こういう日本人の場合、紙切れがあったら、書いてもらうのが手っ取り早い。漢字文化圏ならではのメリットで、下関条約のさいの伊藤博文らと李鴻章の方式でもある。といっても、ときには簡体字の「筆記体」は解読に手間取ることもままあるが。

 青椒肉絲? 終わっちゃったよ、もうやってない──と、店のひとが応答した。

 「終わった」とは、どういう意味か。「今日は売れ行きがよかったがために材料が切れた」ということなのか。それとも「以前はメニューに載せていたものの、いまでは廃止してしまった」という意味なのか。

 どちらも、微妙に違っていた。きけば「緑のパプリカ」の季節がおわってしまったから、もう今年はその料理はつくれないのよ、という意味であった。日本では、ハウス栽培の「ピーマン」が一年を通じて出まわっているがために、気がつかなかった。季節ものだったとは、盲点だった。

 詳しいことは知らない。けれど、品種の差にすぎぬのか、緑のパプリカが用いられる。日本でいうピーマンよりもずっと肉厚で甘くて、さほど苦くない。といっても、おなじ未成熟のものとはいえ、ピーマンよりは甘い。甘苦い。べつに赤や黄のパプリカで代用してもらってもかまわないけれど、結果としては画竜点睛を欠くというのか、あまり苦味がない青椒肉絲となるはず。

 パプリカとはトウガラシの一種にして、ハンガリー名物のグヤーシュをはじめ、種々の料理に欠かせない作物であるから、大陸ヨーロッパでも流通はある。だが如何せん、未成熟のものは需要が限られている。もともとは夏野菜でもあるし、成熟してしまっては表面の色が緑でなくなって、風味も変わる。それで、さすがに立冬も過ぎてしまうと、大量の入手が困難となるようだ。いまの時節ではもう遅い。雪が舞いはじめたら、回鍋肉でも注文しておくのが安全であろう。

 ちなみに、英語では何と呼ばれるか。じつは地域によってさまざまで、面白い。

*参照:

youtu.be

 

カラマーゾフと聖書と翻訳

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photo by Evg Klimov

 はるか昔には生真面目な学生だったから、ある日の講義でも文献リストにあった聖書も、すぐに入手したものだった。翌週までに最低限「福音書」は読んでおくようにとの指示ではなかったか。書物全体に比べたらほんのわずかの部分にすぎない。このときの「新共同訳聖書」というのは「共同」とはいうものの、どちらかというとカトリック側の見解がつよく反映されている……とは佐藤優の新刊に書いてあって、それで思い出したわけだ。

 ことしの11月11日はドストエフスキー生誕200周年で、これを機に刊行されたとおぼしい、佐藤優『生き抜くためのドストエフスキー入門』を読んだ。「目から鱗」の連続というやつだった。前述の新共同訳のはなしも、そうした脱線的な解説のひとつである。

 神学者にして、かつて「ラスプーチン」とも呼ばれた元外交官の著作活動も『国家の罠』や『自壊する帝国』から、かれこれ十五年か。今では「知の巨人」とよばれ、毎月のように新刊が出る。上に記した初期の自伝的ノンフィクションに出てきた「サーシャ」のその後の人生も今回あかされており、長年の読者には驚きがあった。

 「4人分か5人分の人生」を生きたというほど波乱に満ちたこの作家のプロフィールは、まるでドストエフスキーが創作したキャラクターだ。『同志社キリスト教主義は人生にどう役立つか』[PDF]という講演記録のテクストに書いてある。もともと無神論を志して神学部に進んだのだというのだから面白い。

「それであなたは何を勉強したいんですか」「無神論を勉強したい」「ニーチェを?」「いえ、フォイエルバッハとかマルクス」。すると「うちにそういう本、たくさんありますから」と言われた。

 けっきょく組織神学を専攻しながら無神論も研究したのち、外交官としてのモスクワ勤務を経、さらに「国策捜査」という受難に遭ったことで、ドストエフスキー当人の経験をいわば「追体験」することになった。日本にうまれながら、これほど『カラマーゾフの兄弟』を読み解くのに有利な立場のひとは、なかなかないだろう。とりわけ『カラマーゾフ』だ。

 折しも200周年ということで、NHK〈100分de名著〉シリーズの枠で「ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(講師:亀山郁夫)」が再放送されているようだ。ここでもやはり『カラマーゾフ』がドストエフスキーの集大成にして、最高傑作とみなされている。

 世界じゅうで愛好され、舞台化・映像化もされてきており、目にする機会も多々あった。学校でレポートすら書かされた記憶もある。けれども、これまで十全に理解できていたのかと問われれば心もとなく、しかもこの機会に上掲の書物などを読んでいるうちに、ますます自らにたいする懐疑が募って、また読まなねばならぬという気がしてきた。

 そこで、原書を読む能力のない不肖の身として、どの邦訳を選べばよいのかという問題につきあたる。いまや手軽な文庫版・電子版にかぎっても複数の選択肢があるのだ。

 2006年に刊行された亀山郁夫訳が最右翼だろうか。はじめて読んだときにはなかった新しい訳だ。じつは第一部はすでに手もとにある。たしかに読みやすい。このあたりは、電子版のサンプルをダウンロードして「前口上」あたりを比較してみるといいかもしれない。紙の本でいうところの「立ち読み」だ。

 新しいほうが現代の口語にちかいに相違ない。が、口語に近ければければちかいほど読みやすいということでは必ずしもないだろう。トルストイの邦訳についてはそう感じた。それでも、こうした文体までは読者の好みの問題にすぎない。けれど、読みやすい訳文を翻訳者が追求する過程で、どの程度の意訳が許容されるかということは、問題になってくる。

 例をあげれば、佐藤優は前掲書のなかで、「彼」とすべきところを「キリスト」と訳してしまうのは意訳しすぎだと、ある訳文を指弾している。だが、神学の門外漢からすると、この程度は許してもらわないと、前後の意味がとりづらく読了がつらくなる。「新共同訳」をはじめ、日本語の聖書が一般大衆にとって読みにくいのは、明らかにそこに一因がある。逆にそれを読み慣れているひとには、小説の作中人物が「彼」と言っても違和感を生じないのだろう。あるいは「彼女」ならばなおさら、かつて文人が造り出した翻訳のための語なのだが。

 たとえば、玉村文郎「対照研究と日本語学」(『新しい日本語研究を学ぶ人のために』世界思想社、1998)をみると、英国の元皇太子妃の事故死を報じる新聞記事が例に挙げられている。そこで玉村は、英語では“she”、フランス語では“elle”が用いられるであろうところを、日本の新聞では「ダイアナさん」が繰り返されていることを指摘し、「対等・目下でない人に対しては人代名詞の使用を避け、氏名・肩書きなどの名詞を反復するのが、日本語らしい表現法である」としている。

 つまりロシア語の会話にでてきた«он»が「彼」とされたり«ты»が「あなた」と訳されてしまっていたらば、現代日本語における日常的な会話文として読むばあい、決定的に不自然であり、ともするとぎこちない人物になってしまう。要するに、日本語の母語話者なら、そんな話し方をする奴はいない。

 ところが神学徒からみれば、テクストを文献学的に読み解く必要から、ここは「彼」と訳されねばならないところだ、という主張になるのである。ドストエフスキーは「キリスト」とか「ハリストス」とかいう語をだしていないし、文脈上は「偽キリスト」かもしれないのであるから「キリスト」では意訳のしすぎで不正確だと。それはそれでわかる話ではあるのだが、いずれにせよ厳密な訳と自然な日本語表現の両立は難しい。

 ついでに意訳に連関して思い出したのは、ある聖書である。翻訳といえば、なんといっても史上最大のベストセラーの例に如くはない。

 むかし、南ボヘミアで布教活動をしているという、ふたりのドイツ人と語学のコースで知り合った。観光がてらチェスケー・ブディョヴィツェの団体施設を訪ねたものだった。帰り際に、使い古しでわるいけどと断りながら聖書を一冊もってきて、見返しと扉の間の遊び紙にメッセージをしたためてから、餞別がわりに手渡してくれた。そのときの版が、_Hoffnung für Alle_といって、読者の理解のしやすさに重点がおかれたドイツ語訳聖書らしかった。

 『カラマーゾフ』にも引用されてあるから「ヨハネの黙示録8章11節」が、よい例になるだろう。「苦よもぎ」という星が落ちてきて水がにがくなる、というくだりだ。ロシア語ではニガヨモギを「チェルノブイリ」ということから、原発事故をめぐって、この「予言」が人口に膾炙したことは佐藤優も紹介している。また、われら酒呑みにお馴染みなのは、カクテルには欠かせない「ヴェアムート」ないし「ベルモット」などと呼ばれる酒で、名称は香りづけに用いられているニガヨモギの提喩である。それから、日本の芸術家にも愛された蒸留酒アブサン」がそのように呼ばれたのも、同じ植物をさす語「アプスィント」に由来している。

 ドイツ語となると、たとえばルターの聖書では»Wermut«と植物の名が直訳されているところが、件の_Hoffnung_版では»Bitterkeit«、すなわち単に「苦味」と意訳されてしまっている。酒類を嗜まれない向きはヴェルムートと言われても風味をご存知ないかもしれないし、「苦味」のほうが端的でわかりやすいに決まっている。

 しかしこうなると、なんらのイメージの広がりもなくなってしまう。誤解もないぶん、多様な解釈や類比もなくなる。わかりやすいが、つまらない。

 とまれ、意訳の匙加減については、厳密さと分かり易さのバランスが関わっており、両者が正真のトレードオフの関係にあるとすれば、なかなか難問であるようだ。

 なお、昨今ではウェブで検索するといろいろな聖書を参照することができる。また、スマートフォンの〈聖書〉アプリも便利だ。じつはiPhone 3Gの時代から使っているのだが、現行のヴァージョンでは「本日の読みどころ」みたいな箇所をまいにち指定時間に通知してくれる機能がある。最近はまいあさ目覚ましがわりで、これで数行づつの引用を寝転がったまま読んでいる。

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チェコスロヴァキアの皿と燻しボック

 10月の28日は、チェコスロヴァキア成立の記念日。祝日のプラハでは、まいとしヴィートコフの丘で式典が執り行われる。

 そんなとき、皿が割れてしまった。

 頭上の戸棚から、ペッパーミルと胃腸薬の瓶が落下した。これまた意想外なカップルが心中したものだ。が、無事でよかった、と思ったら、その下に置いてあった皿が、直撃を受けて死んでいた。

 直径二十二センチほどのスープ皿で、縁が高くなっているからどんな料理をいれても便利な万能選手だった。もとは四、五枚ほどあったと思うが、十五年あまりのあいだに、最後の一枚になってしまっていた。最後の一葉……。

 素地は大したこともない。やや粗悪な材料らしく、釉薬にもむらがあった。その反面、見たこともない美麗な紺青色をしていた。プルシアンブルーというのだろうか。手製のボルシチやグラーシュをよそうと、とりわけ映えた。

 色彩こそプロイセンの顔料に喩えたものの、そのじつ裏側には「Made in Czechoslovakia」と印字されていた。うっかりしていたが、もう手に入らない。いずれにしても存在しない国なのだ。

 しかし、割れてしまったものはしょうがない。こういうときは……飲もう。

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Mazák Uzený Bock bez kosti
  • 名称:Mazák Uzený Bock bez kosti
  • スタイル:ラオホボック(バンベルクスタイル・ボック・ラオホビール)
  • 初期比重:16°
  • アルコール(ABV):6.6%
  • IBU:28
  • 醸造者:Mazák
  • 生産地:ドルニー・ボヤノヴィツェ、チェコ共和国

 世に言うボックビーアとは、アインベック市のアインベカー醸造所の製品に源を発している。バイエルンあたりの訛りといわれるが「アインベックのビーア」が転訛して「アインボックビーア」となったらしく、さらに語頭の「アイン」が不定冠詞のeinと誤認されて省略されるようになったものであろう。言語学の初歩を受講すると十中八九、英単語の「apron(エプロン)」が生じた経緯として、似たような説明を聞くことになる。

 この話にはつづきがある。偶然とはいえ、ボックBockとはドイツ語で雄ヤギを暗示する語でもあったから、ラベルなどに山羊の意匠が描かれることが多くなった。さらにそれがボヘミアで模倣されたとおぼしく、製品に同様の絵柄とチェコ語で山羊を意味するコゼルKozelという銘が用いられるようになった──というのは民俗誌家の説明である。

 少なくともひとつ、ヴェルコポポヴィツキー・コゼルとして現存している。かつてはボック・スタイルの製品も醸造しており人気を博したらしいとはいえ、いまではビアスタイルに関わりなく全ての製品に山羊さんが麦酒を愉しむイラストが描かれている。ちなみに現在、この醸造所はアサヒグループホールディングスの傘下となっている。

 いっぽう、本日の一杯。醸造所マザーク有限会社の製品は、名称を《ウゼニー・ボック・ベス・コスチ》といって、訳せば「骨なし燻製ヤギ肉」という意味合いになるが、これはクラフトビールらしい諧謔である。「ラオホボック」は『ガイドライン』には「バンベルクスタイル・ボック・ラオホビール」として記載がある。

 燻製モルトで醸された「ラオホビール」じたい、ひさかたぶりだ。バンベルクの《エヒト・シュレンケルラ・ラオホビーア》はお馴染みだったし、まいとし春には同じ醸造所の「四旬節ビール」をいただいていたものだが、もう数年ありついていない。もちろん、主としてコロナ対策の営業規制のためだ。

 マザークはといえば、ホドニーン近郊ドルニー・ボヤノヴィツェにある小規模醸造所。モラヴィアでも、民俗的にとくにスロヴァーツコと呼ばれる地方にある。

 液色はマホガニーを思わせる。燻煙香はマイルドでちょうどよい。あんがい「骨なし」というのは、この柔らかさを示唆するのかもしれない。 燻した1種をふくむ4種のモルトに由来する甘さもやや主張しているが、しつこいというわけではない。たぶん2種類のドイツ産ホップがバランスしているからで、それにしても苦みというほど感じることもない。本場のバンベルク勢にくらべると、さまざまな面で穏やかである。そして意外にもフルーティーだ。文句のつけようがない。


 ……かえりしな気がつくと、多くの飲食店がなくなっている。もぬけの店舗や、はたまた食料品店に様変わりしていたりする。テイクアウト専門に業態を転換できたところはまだ、成功事例の範疇といえよう。

 そういや、半年あまり前のロックダウンのさなか、風の便りに「〈あの店〉が廃業するってよ」と伝わった。

 ──あんなやつの店なんか潰れて当然だと、不肖わたくしも聖人君子ではないので、一瞬おもった。けれども、がらんとした空間をみせられても、なんの感慨も湧かなかった。それだけの時間が経ってしまった。

 オーナーもマネジャーも、モラヴィアの出身だった。

 シェフが試作したコース料理を試食しながら、マネジャーが社会主義時代の体験を語りだしたことがあった。子どもの頃のおやつが、ロフリーク一本だったといった。ロフリークというのは、味も何もしない湿気た麸みたいなシリンダー状の白パンだ。焼きたてであれば、ほのかに小麦の香りがする。いまだに入院時の朝食がこれ二本のみ、などという話は耳にする。

 マネジャーは、そんな自分に料理の味がわかるわけがないと開き直っていた。うまいかまずいか判断するのは自分の仕事ではないとも言い募った。けれども職分として、シェフに高額の給与を支出している根拠くらいは把握する必要がありそうなものだった。

 そういえば、形状は異なるが同じような味気ない生地の白パンで、ホウスカというのもあった。けれど、モラヴィアの地方都市にうまれた友人のひとりは、ビロード革命前の地元では見かけなかったといった。プラハを思わせる、都会的なパンだとおもっていたと述べた。

 チェコスロヴァキアはなくなったことになっている。たしかに、解体されて滅した。しかし、いまだにチェスコやチェキアやチェコ共和国などというものが存在するとも素直には思えないのだった。

 中央のポピュリスト政治家は、外敵の脅威についてさかんに鼓吹する。そうすれば、この手の格差から地方の有権者の目を逸らすことができる。けっきょくは、何も解決されず、分断が深まっていることがあとでわかる。

 ただ、こんどの首相候補モラヴィアの出だ。そうかといって、即ち期待できるということにはならないけれど。過去にもパロウベク、トポラーネク、ネチャス、ソボトカとモラヴィア出の首相はいたのだから。──思えば、トポラーネクは〈あの店〉で見かけたことがある。厨房からスタッフが「押すな押すな」のていで覗きこんでいたのが可笑しかった。あれは首相を辞任した直後だったのではないか。

 総じて気のいい馬賊みたいな連中だったが、もう会うこともない。店舗にしろ、やっていた人間にしろ、もうそこには存在しない。

 存在しない国の成立を祝う日に、存在しない国でつくられた皿も存在することをやめた。くらべる話でもないが、この一年半のあいだ皿以上のものを失ったひとも多いにちがいない。とまれ、すべてはラオホボックの燻煙香のように消えてしまった。諸行無常の秋の夕暮れだった。

 

暗い血の旋舞

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photo by Marie Schneider

 承前クーデンホーフ=カレルギー光子の話がでてきた。

 まず思い出されるのは、松本清張『暗い血の旋舞』ではないだろうか。「香典なんとかミツコなんか知らない、聞いたこともない」とおっしゃる向きは、読んでおいて損はない。けれども、ちょっと残念な作品でもあるのだ。僭越ながら言わせてもらえれば。

 冒頭から、杉田という男とマキという女が、なにやら深刻そうに歴史の話をしている。情景描写もむやみに深刻だ。舞台であるフリートホーフとは墓地のことである。そして、くろぐろ雲がみちてきて、いまにも小糠雨すら……。どんよりと暗すぎて「このひとたち死んじゃうのかな」と思わせるが、そうではない。意味もなく深刻ぶっているだけなのだ。

 現地ウィーンで観光局に勤めるというマキに、杉田がクーデンホーフ光子について尋ねはじめる。──なるほど、杉田とは取材に来た小説家で、すなわち松本清張の分身なんだな、と読者は解する。でも、それにしては悩みが深そうだ。

 クーデンホーフのひとりが「副王」とよばれたことが引っかかっているようだ。よく読むと「クーデンホーフ家はボヘミアの副王だった」と光子の次男、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの自伝にあったとして、それでどうやら誇大な誤解が生じている。

 そりゃ、たぶん「シュタットハルター」の訳語でしょう、やはり「総督」くらいに訳したほうがよかったかもしれませんが──と具申したくなる。が、いやな予感もしてくる。芥川賞受賞の作家先生にたいして、編集者連は誰も教えてさしあげなかったのか、と。

 しかし、そうした誤解やら疑問やらが、取材旅行のあいだに氷解してゆくのを読者は期待しつつ、ページをくるわけだ。けれども、入れ替わり立ち替わり現れるのはリヒャルトの回想や概説書や何やからの引用文である。概説っていうくらいで、大雑把なものだ。しかも、相互の関連性にうすい、ありていに言えば、関係のない挿話が作家の思いつきというかたちで語られる。取材ノートを兼ねたスクラップブックを読まされているいるかのようだ。

 主題はクーデンホーフ光子の話だとおもっていたら、急にフランツ・ヨーゼフ帝の話がでてくる。そうかとおもうと、世紀末ウィーンの文人や画家について、ガイドブック並みの解説が割り込んでくる。現地で入手する文献もあるにせよ、日本から持参した資料をホテルや機内で読むうちに疑問が解けてしまうこともあり、なんのための旅なのかわからない。

 それでも文庫版100ページ前後からは興が乗ってくる。やっと中盤と終盤で、作家が構想している小説が具体的に明かされもする。予期される物語のプロットないしストラクチャーめいたものが披露されるから、そこで読者は作者の意図を最終的に了承するわけだ。すなわち、このひとはけっきょく歴史の謎を解くために来たわけではないのだ、と。ほんとうに小説のすじを考えるためだけにやってきて、協力者の女性たちとおしゃべりして、いろいろ由無し事を書き連ねているのだ。

 それがわかったときには残りのページはあとわずかだ。「暗い血」と言ったって、ハプスブルクの同族婚をほのめかして、すべてを説明したつもりになっているだけかと呆気にとられる。しかもクーデンホーフ光子は関係ない話になっておるじゃないかと憤ったところで、あくまで小説の構想として頭に浮かんだことですから、といわれたら仕方がない。それだから、はじめて読んだときは失望を覚えたものだった。

 むろん、時代的な限界は考慮されるべきだろう。文庫版の奥付では「1991年12月10日_第1刷」となっているが、もとの単行本については「昭和62年4月日本放送出版協会刊」とあって、1987年にNHKが企画したものだろうとわかる。

 「NHKアーカイブス」のサイトに紹介がある。1973年に『国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと』という伝記物が放映され(ここ)、そこで光子を演じた吉永小百合を起用して撮られたのが1987年の『NHK特集・ミツコ──二つの世紀末』だった(ここ)。「松本清張の小説執筆と同時進行で制作」と説明されている。

 1987年といえばプラザ合意の後で、ちょうど海外旅行がさかんになってきた時期だ。日本旅行業協会のサイトにはグラフ付きで説明されていて「1964年にわずか13万人だった海外旅行者数は [...] 85年秋の『プラザ合意』以降の急激な円高とバブル景気の後押しを受けて90年には1,000万人の大台を突破した」とやはりある。当時の日本の国民・市場はきっと、巨匠の手になる「旅行をたのしくする副読本」のようなものを必要としていたのだ。そう考えればたしかに、物語はシェーンブルン宮殿の墓地から始まるのである。まだ共産圏だったプラハまで足を延ばすひともさほど多くはなかったろうが、ウィーンを訪れるならば知っておきたい歴史の挿話が満載されてあるのもうなずける。ハプスブルクの「暗い血」についても、今日ほどは知られていなかったのだろう。

 ところで「残念」というのはいろいろの意味がある。けっして価値のないぞっき本という意味ではない。なんせ、傘寿もちかい社会派小説の白眉による円熟した筆致だ。その清張にしてからが明治の生まれで、光子の父・青山喜八をめぐる推理のくだりなどは、さすがと唸ってしまう。

 ところがヨーロッパに舞台がうつると、概説書を斜め読みしたくらいの予備知識しかもち合わせないらしく、とたん思い込みにもとづく牽強付会が鼻についてくる。

 たとえば「ロンスペルクの居館の周囲はチェコ人ばかりだった」とさらっと書いてある。「ロンスペルク」はチェコ語で「ロンシュペルク」と、おそらく往時から発音されていたに違いない。1920年チェコスロヴァキア政府が「ポビェジョヴィツェ」の名を併用することを決定して以来、今日まで行政上はその名で通っている。「南ボヘミア」とよく文中にでてくるが、現在の区画ではプルゼニュ県であるから、どちらかといえば「西ボヘミア」と認識されている。つまるところ広義にズデーテンと呼ばれる地域にあって、ドイツ語話者が多数派を占めた町であった。

 つまり「ドイツ人ばかりだった」というほうがちかい。現に、作中引用されているリヒャルトの回想にも「ロンスペルクはドイツ系ボヘミアのちいさな町であった」とあるのに。そのくらい、プラハで落ち合ったガイドにでも訊いていれば教えてもらえそうなものだ。作中人物ではあるが、モデルはいたはずだと踏むが。じっさいのところ、ドイツ語を話す住民が各地で追放に遭った1945年に、ロンスペルクで「移送」を免れたのは1世帯のみであったという(後出のシュミットの言)。こうした事実の誤認を基礎として「チェコ人民族運動が光子に『ボヘミアでの生活を不可能にさせた』のである」と断言してしてしまうのはいかがなものであろう。むろん、理由のひとつではあった可能性は否定しきれないとしても。

 さらに「チェコ農奴」を城の周囲で使役していたというのだが、どうも混乱しているようだ。時代的にとっくに農奴制は撤廃されていたはずだ。しかしそもそも中世史と近現代史をごっちゃに叙述してしまうのも、胡乱な行為である。喩えるなら「神風」と「カミカゼ」を混同させかねないからだ。ほかにもこまかいことを言い出せばきりがないが……。

 ただ、今回よんでいるうちに、他の箇所で気づいたことがあった。プラハ近郊から北ボヘミアにかけて、ホテク家の旧跡を訪ねている場面だ。読者が強引な論理展開に辟易しているのを見透かしたかのように、自らの推理について「この史料を読んで画一的な概念であるのを知った。類型的な思考に一撃を喰らった思いであった」と杉田に言わせているのである。

 つまり、作家が披瀝してきた数々の理屈や仮説が、かならずしも史実にてらして本当のことではないんだよ、と主人公の反省という形で示唆しているような気がしたのだった。あたかも、むかしのロマン主義の小説が「いままでの話はすべて夢だったのです」で終わってしまうようなものか。いやむしろ、そもそもこれは清張じゃないか、と思い出させる。つまり初めからルポルタージュではなくて小説だったのだ、なんでノンフィクションだと思いこんでいたのだろうと。けっきょく読者は文豪の手のひらの上で「旋舞」していただけだったのかもしれない、と気づくのだ。

 惜しむらくは、『暗い血』から10年以上たってから、あるいは清張が没して6年ほど経過してから、シュミット村木眞寿美『クーデンホーフ光子の手記』が刊行されたことだ。あるいは逆に『暗い血』が反響を呼ばなんだら、この『手記』は世に出ていないという言い方もできそうだが。

 その『手記』とは、娘のオルガに口述筆記させた光子の「肉声」を公文書館にもとめ、これを翻訳・編集したものである。チェコ共和国の公的施設の塩対応はお馴染みではあるが、編著者が取材したクラトヴィの文書館も、コピー料金が高いなどと大いに憤慨している。はては「今まですべてドイツが悪いことになっていたのが違うことがばれるので、相手が構える。真実が露と消えないよう、ドイツ人の調査は見えない妨害を受けてきた」とまで明かされる。エピローグでは、地元でタブー視されたはずのロンスペルク城の修復に自ら奔走するも果たせなかった件に触れられているが、そこから来る観照もまた正鵠を射ている。呪われた国で現代にも生きつづける闇のほうが、むしろ「暗い」のだ。

 なにより清張は、エリートで学究肌のハインリヒと初等教育ていどの学しかない光子の結婚は、不幸なものであったと断じた。しかし、光子みずから、ハインリヒとの暮らしがいかに幸福なものであったか娘に歌ってきかせるように語るのを読むとき、明治生まれゆえの先入観にもとづいた机上の空論であるの感をつよくする。知る由もない内心ではあるにせよ、なんといっても「所詮は女にすぎない」というような謂いもあって、松本清張だけにマッチョですなと嘆ずるしかない。時代が時代だったのだ。

 ただ、物語の過程で、光子の談話にもとづくリヒャルトの回顧が「資料的な裏づけを欠く」ために誇張であろうと抛り出されることはやむを得ない。じっさい、杉田はそのように看做して真相に迫ろうとする。史家やジャーナリストであれば当然のことで、首肯できよう。しかし、ほかの面での論の強引さそのものについては、クーデンホーフ家の虚飾を是が非でもあばいてやるのだという、作家の執念の発露にも思える。それこそ、清張じしんの「暗い血潮」だなと揶揄してみたくもなる。

 ところで、じつはチェコ語でも近年、光子の伝記的小説が刊行されている。2015年のヴラスタ・チハーコヴァー=ノシロによる『ミツコ』である。美術史家にして日本学の研究者でもある著者は、チェコスロヴァキア民主化まで20年ちかく日本に在住して日本人の配偶者があったこともあり、光子への同情にもふかいものがありそうだ。自身による光子を扱った博論とは趣きを変えて、大仰な文体による読み物という色合いがつよいものの、編年体のような体裁をとって年ごとに世界の出来事を付すなど、はばひろい読者の理解に配慮してもいる。いまもって触れてほしくないという者もあるに違いないが、変化の萌しもまた感じる。いずれにせよシュミット村木の挫折からも今や一回りの時が過ぎたのだ。

 ともかく、より多くの情報や史資料があればもっと……と執筆された時代を度外視して空想するのは読者の勝手であるが、そういう意味で『暗い血』を再読してみて「残念」という気がしたのもたしかだ。

 クーデンホーフ家にかんして清張が用いているのは、主としてリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの『回想録』と『美の国』で、それに木村毅『クーデンホーフ光子伝』や昭和初期の雑誌記事が少々。それからゲロルフの『思い出』を編集部に翻訳させたとおぼしい紙束が作中、だしぬけに出てくる。するとこれが、兄・リヒャルトの『回想』よりも客観的な記述で、疑問が自己解凍されてゆくという展開になる。要するにデウス・エクス・マキーナーのように思えたものだった。

 

*参考:

www2.nhk.or.jp

www2.nhk.or.jp

www.jata-net.or.jp

学び直しとアップデートの語学

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photo by Leonhard Niederwimmer

 NHKラジオ「まいにちドイツ語・応用編」が、この10月から「記憶に残る近現代の女性たち」と題したコースを放送している。じつはSNSで紹介されていたのだ。

 各課でひとりづつ、ドイツ語圏にゆかりのある女性について書かれたエッセイを読みながら、文意をとりつつ関連する語彙や文法をまなぶという流れである。教授法としては訳読法という旧弊なスタイルながら、初中級から中級以降の授業としては、オーソドックスなものであろう。

 扱われるテーマのリストはマリア・テレーズィアにはじまっており、アンゲラ・メルケルにおわるという、予定調和的なものだった。しょうじき、そう思った。けれどもよく見ると、その中間にマレーネ・ディートリヒとか、レニ・リーフェンシュタールとか、ペトラ・カリン・ケリーとかの名があった。ほかの面子もなかなか面白かったので、ためしに聴いてみることにしたのだ。

 こういうときにはスマートフォンの〈ゴガク〉アプリが便利だ。NHKラジオ講座の音声が2回分だけ聴取できる。世界のどこにいても。さらにテキストが欲しくなったらば、たとえばAmazonページKindle版のテキストをポチッと購入すれば、すぐにスマートフォンの〈Kindle〉アプリで閲覧することができるようになる。

 したがって基本的にはスマートフォン一台あれば、カジュアルな語学学習が完結してしまう。現代的だ。これでは、三日坊主の言い訳を考えるのが難しい。くわえてノートと筆記具に辞書くらいあれば言うことはないが、それすらスマートフォンで代用しようと思えばできる。

 テキストのエッセイはおそらく書き下ろしで、よく知られた人物の「知られざる一面」に焦点を当てられている。

 たとえば──マリア・テレーズィアについては、16人の子を生みながらドーナウ帝国を統治した女帝であることはご存知でしょうが、このひとが疫病に罹ったことがあるのを皆さん知らないでしょう──という具合である。おいおい存じねえよ、と受講者は興味を引かれるはずだ。しかも疫病といえば、ここ数年の世界的なトレンドであることは周知のとおり。その前後ではメディアが用いる語彙の傾向もおそらく変わってしまっている。

 つまりコースとして「学生時代に第二外国語として学習したが勉強し直したい」というような需要を意識した内容になっていることが、まず前提にある。そこに、かつては重視されていなかった語彙や語義や、昔つかっていた辞書には収録されていない新しい語や言い回しが投入されるわけだ。今どきの内容は、代わり映えしない古典の引用などよりも多数のニーズに合致するにちがいないから、コースデザインの面から正義があり、なにより学習者の学習意欲を刺激するはずだ。

 さらに第二課は、クーデンホーフ=カレルギー光子である。このひとのばあいも、異文化コミューニケイションや人種問題のような新しめの視角から文章が構成されていた。そこでは、postmigratischとか、Alltagsrassismusとかいった、およそ昔の学習辞書には採録されていない「新語」がでてくる。社会が変化すれば、とうぜん語彙も変化する。移民社会になっているドイツにあって「最近はふつうの言い方になりました」などと補足説明しているあたり、実用面において綿密に配慮されたコースだと、唸ってしまう。

 文法も同様である。jemandにつづく関係代名詞にしても、むかしはすべからくderで受けるべし、つまり男性形を代表として用いるべしというルールであったものが、いまではdieと女性形をつかってもよくなっています、という説明があった。うすうす気がついてはいたという人も多いだろうけれども、昔日の学習者は文法を学習し直したほうがいいかもしれない。ポリコレが語彙をつくり、文法を変えたのだ。好むと好まざるとに拘わらず、アップデートはしておかないと。いずれにせよ、言語の学習とはシジフォスの岩運びにも似た、終わりなき作業なのである。

 ……しかし、ここで受講者の興味は「光子」に移ってしまうかもしれない。じつは面白すぎる教材も、学習者にとってはよくないのだ。それは恰好の三日坊主の言い訳となるからだ。──つづく。

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バックスライディングのゆくえ──チェコ共和国の「選挙2021」

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photo by Denis Poltoradnev

 選挙の秋である。チェコ共和国では、10月8日の午後と翌日の午前に投票がおこなわれた。

 開票の結果、中道右派連合・SPOLUが得票率27.79%を獲得し、第一党におどりでた。第二党が政権与党のポピュリスト政党・ANO(ANO_2011)で、得票27.12%と僅差であった。代表で現首相のアンドレイ・バビシュは敗北を認めざるを得なかった。

 海賊党と首長党の政党連合(Piráti a STAN)は、15.62%で第三党。極右ポピュリストにして擬イスラモフォビア政党「自由と直接民主政──トミオ・オカムラ」(SPD)も健在で、9.56%の票を獲得した。

 さらに政権与党の一角であった社会民主党(ČSSD)と、政権を最近まで閣外で支えたボヘミアモラヴィア共産党(KSČM)は、得票5%の阻止条項ラインを越えられず(それぞれ4.65%と3.60%)、議席を失った。両党にとっては、すくなくともチェコ共和国始まって以来およそ30年で初の事態である。社会民主党は、オーストリア=ハンガリー時代の1878年に成立しており、そこから分かれた共産党は、1921年の「チェコスロヴァキア共産党(KSČ)」結党から起算すればちょうど100年で、いずれも長い歴史を誇っている。ちなみに全体の投票率は、65.43 %であった。

 これは意外な結果だった。直前の週のある世論調査によると、支持率順にANO(26.6%)、SPOLU(21.6%)、海賊(19.8%)と並んでいたからだ。中道右派の追い上げが急激だったことがわかる。海賊・首長連合は、2021年第1週の同調査では26.5%で一番人気となっていたが、徐々に勢いが衰え、8月下旬にはANO党に追い抜かれていた。それでも直前の調査に比して、4ポイント以上も低い得票率となったのだから、こちらの衰退もまた急激だったわけだ。ただ、こうした調査をおこなう調査会社はいくつかあって、各社で数字にばらつきがあることもいうまでもない。


 結果、SPOLUと海賊・首長連合は連立政権の樹立へ向けての協議を約し、ことによるとANO党は下野を迫られそうな情勢となっている。SPOLUの代表者で、市民民主党ペトル・フィアラ党首は「まっとうな価値観の政治による勝利」を宣言し、海賊党のイヴァン・バルトシュ代表は「民主主義の成功」を言祝いだ。

 中道右派SPOLUと海賊・首長連合の協働には、成否に関心が湧く。投票まえから確認されていた海賊党との協力についてさえ、市民民主党・フィアラ党首を罵倒するツイートも見られていたものだ。つまり、支持層の保守派にとってみれば、左派の海賊党と手を組むというのは、ともすれば裏切り行為にもあたるわけだ。

 けだし、両者は政策にとどまらず、一般的な価値観においても「水と油」のごとしであろう。なるほど、チェコ海賊党の議員らは、かつてのドイツの海賊党のようにTシャツにパーカーで議場入りするわけでは必ずしもない。バルトシュ代表に典型だが、ちゃんと背広は着て協調性を醸すいっぽうで、髪型ではドレッドヘアを保ってデジタル・若者世代のための改革派であることをアピールしている。それでも、お堅い保守層やカトリック政党の面々からすれば、連中など海賊というより「宇宙人」に等しい、べつの世界の住人のように感ぜられるのではないか。

 いっぽうANOを率いたアンドレイ・バビシュ首相は、政権与党の座をとれなかったら政界を引退すると言っていた気もするが、そうだとしても発言は撤回したようだった。代わりに、ANO党は使い捨てにあらず、というようなコメントがあった。

 得票結果を地図上でみると、ANOが勝った地方は、ボヘミアドイツ国境沿いとモラヴィア北部の各地域であった。一部をのぞけば、失業率の高い地域をしめす色分け図と一致している。ポピュリスト政党の恩顧主義的な政策がどの層に受けているか、類推できる結果である。パンデミックによる世界的な左派優勢の風潮のなかでも海賊党らの得票が伸びなかったことに連関があるかもしれない。

 とまれ、わずかに及ばなかったとはいえ、多くの支持を得て堂々の第二党に踏みとどまった。単独の政党としては第一党ということにはなるから、全面的に負けたわけではないという見方も成り立つ。首相本人からすれば、引退する理由はなくなったのである。

 

 ところで、「意外な」ANOへの支持急落について、複数のメディアが「パンドラ文書」報道に帰している。

 「パンドラ文書」は、2.94テラバイトの機密情報を含む、1190万件以上の財務記録で構成されており、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が調査している。ほとんどが1996年から2020年の間に作成された記録で、2万9千人以上のオフショア資産の所有者の情報がある。ざっと「パナマ文書」の2倍の数だという。これまで政治家300人以上を含む取引や資産が曝露されている。

 それがここにきて投票日も目前というとき、バビシュ首相が2009年に購入した邸第の件が報じられたのであった。物件は、南仏カンヌ近郊ムージャンの9.4ヘクタールの地所にたつ、シャトー・ビゴー。周辺にも不動産をつごう16件ほど保有していたというのだが、問題はその複雑な送金の経路で、さまざまな付随的な疑惑ももちあがっていた。同首相にあってこの手の疑惑は枚挙にいとまがなく、違法性はまったくないと記者のまえで開き直るのがつねである。しかし今回ばかりは、さすがにタイミングがわるかったようだ。


 オーストリアで最大の発行部数を誇る大衆紙『クローネ新聞(クローネン・ツァイトゥング)』電子版が記事の末尾でさらりと言及していることが、あんがい重要かもしれない。すなわち、オーストリアにおける在外チェコ人の投票結果である。

 在墺チェコ大使館によれば、海賊と首長連合が48.8%の得票を占めて、トップであったというのだ。進歩主義的な傾きがあらわれたともいえるが、なによりオーストリアに住むチェコ人にとっては、もはやヨーロッパそのものが祖国であり、親EU路線を明確にする同連合はもっとも理にかなう選択肢であったにちがいない。バビシュ首相とEU欧州連合)のあいだの「利益相反」決議をめぐる対立も「国辱」と映ったひとも多かったであろう。国外にあっては多かれ少なかれ、あたかもチェコの代表であるかのようにみなされて生活する以上、つよい風あたりを感じたはずだ。そのさい、チェコ国内のメディア環境では報じられないことも外では分析や議論に供されようし、さらに一般的にいっても、外国に暮らすことではじめて見えてくる祖国の姿というのもあるのだ。

 第二位はSPOLU(得票率37.2%)であったというから、上記の論を補強する。この政党連合もやはり西欧志向の保守政党と汎ヨーロッパ志向のキリスト教系政党で構成されるからだ。すなわち、市民民主党(ODS)、キリスト教民主同盟=チェコスロヴァキア人民党(KDU-ČSL)、TOP党(TOP_09)である。

 件の「パンドラ文書」の国際プロジェクトにしても、ひろく100を超える国や地域の報道機関が参加しているそうである。おおくリベラル系の大手新聞や通信社であったり、または一国の公共放送であったりする。日本からは朝日新聞共同通信が、オーストリアからは週刊誌のプロフィールと公共放送のORFが……といったぐあいである。ところがチェコ共和国からは、独立系の団体をのぞくと報道機関は一社も参加していないようなのだ。

 アンドレイ・バビシュ首相は「メディア王」でもある。通信社というニュースの川の上流をにぎることで、国内すべての報道機関に睨みをきかせてもいる。ČTやČRoといった公共放送をはじめ、既成メディアの各社とて「水」を止められてはかなわないから、大々的にバビシュ政権に敵対するような報道姿勢はとりようがない。そうなると、国内の報道を視聴・購読しているだけでは、自国のことをじゅうぶん知ることができない──これでは公衆による合理的な投票が担保されないわけで、理論上は健全な民主主義は成立しえない。国内メディアの影響下にない在外チェコ人が本国とは異なった傾向を示したのも、あるいは道理であった。

 自ら立ち上げた政党の名称にある「ANO」とは「我慢ならぬ市民の政治運動」くらいを意味する「Akce nespokojených občanů」の頭字語である──と読んだひとは、もしや感心することであろう。しかしながらバビシュ首相はもともと、ハンガリーポーランドにおけるポピュリズムの手法を模倣して同様の潮流を起こすことを企図したものの、けっきょく果たせなかったと言われている。つまり「運動」など存在しなかったのだ。「党」とせず「運動」と表記するのは内務省に登録された公称である手前やむを得ないが、メディアというものはそれだけで一種の幻想を創り出してしまう。

 チェコ共和国の政治状況は、その周辺国が呈する民主政の「バックスライディング(後退)」に該当すると、これまで政治学の研究者らにさんざいわれてきた。だが、今回の反バビシュ勢力の勝利が流れを変える好機であることは明らかだ。としても、アグロフェルト・コンツェルンや他の企業をつうじて国を支配するアンドレイ・バビシュを相手に、ほんとうの変革がおこせるのかどうか見ものであろう。

 

 こうなると、ミロシュ・ゼマン共和国大統領に注目があつまる。結果の如何によらず「盟友」たるバビシュを首相に就ける旨の方針は、これまでの選挙でも報じられてきた。規定の解釈によって、国家元首は選挙結果にとらわれず任意に首相を任命することが可能で、手続き上の期限も定められていないことから、大統領職の任期が終了するまでバビシュ首相を引き留めようとするのではないか──こう予想するのは、SPOLU連合の一角であるTOP党の名誉代表、シュヴァルツェンベルク侯である。むろん反発も大きなものになるだろう。「憲政の常道」という謂いはチェコ語にはないにせよ、それでも最大多数の民意を反映させることは、議会制民主主義における不文律にはかわりないからだ。大統領側は「単独での第一党はANO」という言辞を弄するのであろうが。

 だが、その矢先である。当のゼマン大統領が入院したというニュースがながれた。退院したばかりだと思っていたのであるが。糖尿を患っており、肝臓機能の障害も、という報道はあるにせよ、オフチャーチェク報道官からは容体にかかわる発表はいっさいない。これも毎度のことではある。変革の行方も、ますます見通せない情勢になっている。

 

*参考:

www.jiji.com

digital.asahi.com

nordot.app

www.jiji.com

orf.at

www.krone.at

www.bbc.com