チェコスロヴァキアの成立後、マサリクとベネシュは国内において、神聖不可侵ともいえるほど神格化された。大多数のひとが「世界はふたりに聞き従う」ものと確信していた。両者とも己の信ずる皮肉めいた言辞をしばしば引用し、「政治においては自らの目的を達するに悪魔とも結託しうるが、悪魔に騙されるのではなしに、悪魔を出し抜くことを確実なものとすべきである」と曰った。かつての英国首相クレメント・アトリーは、ベネシュにたいしてはつねに距離を置いていたが、のちにベネシュについて簡にして要を得た文を遺した。すなわち「悪魔と会して羹を食するに、どれだけ柄の長いスプーンが要るものか、どうやら認識していなかったようだ」と。しこうして、すでにパリ講和会議の時分にも、英首相ロイド・ジョージがベネシュを描写しているのである。「……衝動的にして、賢明ではあるが、いっぽう理知的というにはほどとおく、多くを求めればもとめるほど、得るものがすくなくなるということを予見できぬくらいに、そうとう近視眼的な政治家」 ──Československo a krize české identity
慣れとは如何ともしがたいものらしく、菅内閣がうっかり「カン内閣」と誤読されてしまう傾向もとうぶんつづくのかもしれない。自身の来歴をことあるごとに開陳して、これまでの世襲政治家の政権とのちがいを強調するスガ総理だが、すなおに受け取ればいわゆるアメリカン・ドリームを地でゆくような出世譚ではある。それだけに、トランプ米大統領がTwitter上で「You have a great life story!」と称えたのも、不思議なことではない。
たとえば、前出のパラツキーは、モラヴィア領シレジアのホトスラヴィツェ出身だが、フランクフルト・アム・マインで開催された憲法制定ドイツ国民議会への書簡において、自身がスラヴ系の「ボヘミア人」であると言明した(»Ich bin ein Böhme slawischen Stammes.« )。議会への招待状を出した側は、パラツキーがドイツ語を読み書き話すゆえ、ドイツ人であるとレッテルを貼っていたわけだ。この書簡から2年後に生まれたトマーシュ・ガリグ・マサリクにいたっては、スロヴァキア語を母語とする父とドイツ語を母語とする母という家庭に育ったためでもあろう、モラヴィアはホドニーンの出でありながら「チェコスロヴァキア人」なる立場を採用した。第一次世界大戦中には、これを用いて連合諸国において工作を展開する。戦後、はたして成立を見たチェコスロヴァキア共和国において、初代大統領におさまった。このとき出来上がった国家、通称「第一共和国」においては、このチェコスロヴァキア人が唯一の公式ナーロトとされ、モラヴィア人どころか、ボヘミア人もいわば存在しないのが建前となった。いわゆるチェコスロヴァキア主義である。
そういう意味では、最初に観た作品は例外で、原案・脚本ともズデニェク・スヴィェラークであった。その頃はまだ足を踏み入れたことすらない風土に、おおいに興をおぼえた。1985年公開の作品は、原題を_Vesničko má středisková_といい、英題が_My Sweet Little Village_で、ついでに独題は_Heimat, süße Heimat_、そして邦題は『スイート・スイート・ビレッジ』であった。どれも絶妙な訳だけれど、「středisková」という行政にもちなんだ語をすっとばしたことで、過剰にスウィートである感をいだかせる。ラベルの雰囲気から、ビタリング用のホップを欠く甘ったるい製品と思わせておいて、飲んでみてはじめて意外なほろ苦さに気づく麦酒のごとし。しかも見てのとおり、甘みが明記され強調されているのは輸出向けのラベルだけである。それでも「美し国」というときの「うまし」が「甘し」とも綴られることを思えば、なるほどと思うところもある。どうやら故郷とは甘いものらしい。
いっぽうで変わっていない構造もある。文化や生活様式が「首都プラハとそれ以外の地域」で二分されているがごとき国の状況は今でも、すくなくとも人びとの頭のなかではたいした変化は生じていないと思われる。オチークが遠出して、賑わうヴァーツラフ広場に到着したとたん、挿入歌"Praha už volá"が高らかに聞こえてきた場面をよく覚えている。これが言ってみれば、プラハこそ真のチェコスロヴァキアであるかのような暗示でもあり、ひるがえって忘れ去られたかのような地方のうらぶれかたが偲ばれる、じつに効果的な演出なのだった。事情は「東京と地方」の二元論にも似ているから、おおかたの日本人がみても身につまされるのではないか。
むかしからよく不定冠詞「ein」が話題になっていたけれど、Wikipediaにもリンクが挙がっていた記事がこの点に関して簡潔でわかりやすい。記事中のアナトール・ステファノヴィチ教授によれば、ベルリーン市民という集団は定義され周知されているものであるから、「Ich bin...」の構文でつかわれた場合、菓子の「ベルリーナー」を指すものではないのは自明である。そのうえで、厳密には当該集団に属しているわけではない話者が、共有する部分が自身のうちにもあることを表現せんとするばあいには、不定冠詞「ein」がとくに用いられる、という主旨である。つまるところ「Ich bin Berliner」であれば「私はベルリーン出身です(あるいは在住です)」という単なる自己紹介になる。いっぽうここで「Ich bin ein Berliner」とやれば「私もまた、ひとりのベルリーン市民なのです」というような意味合いがでてくる。この記事が書かれた背景もまた明白である。ドイツ語を解さぬジョン・ケネディがほんらい無用の不定冠詞を用いたことで「私はジャム・ドーナツです」と発言したとされ、何十年にもわたって揶揄されてきたものだった。